2013/9/19

広島「ピース・ミーツ・アート」展/位里襖絵調査など  調査・旅行・出張

午前中、Eさんに新飯塚の駅まで送って頂き、これから佐賀・長崎へ向かうというMさんとも別れて、新幹線で広島に入りました。

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広島県立美術館では、現在「ピース・ミーツ・アート!」展を開催中。今夏に広島で開催された三つの美術館の共同企画「アート・アーチ・ひろしま2013」の一環で、丸木夫妻の原爆の図 第12部《とうろう流し》(後期展示10月14日まで、9月1日までの前期展示では第7部《竹やぶ》)が出品されているのです。
展覧会は「破壊から再生へ」、「対話(自然と人との対話)」、「未来へのアート・アーチ」という三つの章からなっているのですが、仕事柄もあって、やはりもっとも興味を惹かれたのは第1章「破壊から再生へ」でした。

入口には岡本太郎の《明日の神話》が飾られ、同じ空間にはピカソの版画《フランコの夢と嘘》(9月1日までの前期展示では群馬県立近代美術館所蔵の《ゲルニカ》タピスリが展示)も並んでいました。さらに岡部昌生の広島のプラットフォームの床面を削り取ったフロッタ―ジュ作品や米国で戦争を体験した国吉康雄の女性像《夜明けが来る》、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》などを見ながら展示室に入っていくと、石内都の《ひろしま》シリーズ並んで原爆の図《とうろう流し》がありました。向かって右隣りの壁面には平山郁夫の《広島生変図》。それぞれ強い個性や制作背景を持つ作品でありながら、色調が美しく連続していて、企画担当のN学芸員の仕事ぶりがうかがえるような端正な構成だと感じました。

そしてそれらの作品と向き合うように、宮川啓五の《太田川》が展示されています。
この作品は原爆の図以上に横幅の長さを感じさせる絵画で、左から右に太田川が流れ、上流から順に昭和10年冬、昭和15年春、昭和20年夏、昭和25年秋の風景を描いているのです。
一見、川の四季の移ろいを描いた日本画らしい題材の作品なのですが、画面中央右が炎に包まれていて異彩を放ちます。昭和20年夏、つまり原爆投下直後の風景です。原爆を描くのであれば、一般的には爆心地付近、つまり原爆ドーム(旧産業奨励館)や相生橋の風景をそれに当てるのでしょうが、宮川の作品では三篠橋が炎に包まれ、つまり、爆心地を少しずらしたかたちで原爆の風景を描いています。
それは何故か。
おそらく、作者は昭和25年秋、つまり原爆から5年後の風景として、爆心地近くの太田川沿いに並ぶ「原爆スラム」と呼ばれた基町のバラック群を描きたかったのではないでしょうか。
そこから逆算して四季と太田川の風景を選んでいったのではないかと私には感じられ、しばらくバラック群の描写から目が離れませんでした。原爆を描いた作品は数多くありますが、「原爆スラム」を描いた作品はほかにもあるのか(こうの史代の漫画『夕凪の街、桜の国』を連想しますが)、調べておきたいところです。

また、第3章の現代美術では、山本基の《迷宮》や広島出身の内藤礼が初めて原爆をテーマにしたという被爆したガラス瓶を用いた作品《タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)》も印象に残りました。

けれども、ここでは所蔵品展示の美術館のこども部屋ver.1「ケンビの宝物。名作って何だろう?」に触れておきたいと思います。
子どもたち向けに、視点を変えて所蔵品を楽しむという趣旨のこの企画。

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「宝物の箱ってどんな箱?」という章で、広島県立美術館所蔵の丸木スマの掛け軸《動物》とともに、作品が収められている箱も展示されているのです。

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ふだんから舞台裏を知っている学芸員にとっては、決して目新しくない箱ですが、「宝物」がこんなに大切にされているんだと子どもたちは新たな発見をしてくれることでしょう。
箱書きは、スマ作品を愛し、そのコレクションを広島県立美術館に寄贈された小林和作。
作品を表装したのも小林和作で、展示では「この作品のように紙や布に絵や文字を貼ることを表装といいます。この作品の表具は、丸木スマさんの作品が大好きで集めていた人がつくりました。作品がよりステキに見えるように、考えられています。あなたなら、どんな表具にしますか?」といった問題も出題されていました。

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続いて、ひろしま美術館の「イサム・ノグチ〜その創造の源流〜」を観ました。

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平和大橋のデザイン、そして幻となった原爆慰霊碑の作者として知られるイサム・ノグチの創造の源流を、影響を受けた作家の作品とともに振り返るという企画。
ニューヨークで石垣栄太郎の影響を受け、黒人のリンチを題材にして制作した《死(リンチ)》という彫刻や、メキシコの壁画運動との出会いを紹介した章が特に印象に残りました。

「創造の源流」を見て、あらためてイサム・ノグチの設計した平和大橋を見ておきたいと思い、平和公園を通って平和大橋へ。

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平和大橋を渡って向かった先は、広島市高等女学校原爆慰霊碑。
学徒動員によって建物疎開などの労働中に原爆を受け、広島市高等女学校では広島市内で最も多い679人の生徒・職員が亡くなったそうです。

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この慰霊碑は、石碑の中央で女の子が抱えている「E=MC2」と書かれた箱が重要です。
数式は、原爆の原理であるアインシュタインの相対性理論の原子力エネルギーの公式です。
この碑が建立されたのは、1948年8月6日。
当時は米軍の占領下にあり、プレスコードの影響で、慰霊碑にさえ「原爆」という言葉を刻むのがはばかられた、時代の空気の証なのです。

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この日の最後に訪れたのは、中区にある丸木家の親戚にあたる昭法寺でした。
丸木位里の筆による竹と梅の襖絵の調査です。

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1975年初夏に描かれたこれらの襖絵は全部で15枚。
決して大作ではありませんが、丸木位里らしい力の抜けた飄々とした筆運びの襖絵です。

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また、本堂には、俊の筆による飛天も描かれていました。
さすがに広島市には、まだまだ知らない丸木夫妻の作品がたくさん眠っているようです。
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