2013/9/17

【筑豊出張初日】炭鉱展作品返却その1  調査・旅行・出張

休館日ですが、「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展の作品返却のため、展覧会の企画委員の一人で元学芸員のMさんとともに、早朝の新幹線で小倉へ向かいました。5時間新幹線に揺られ、小倉駅に到着したのが正午過ぎ。

山本作兵衛のお孫さんのEさんが車で迎えに来て下さって、そのまま、まずは小竹町にお住まいの元貝島炭鉱重役のFさんのお宅へ。Fさんが大切にされている山近剛太郎のスケッチブックを返却しました。

続いては、直方市石炭記念館へ移動し、直方谷尾美術館のN学芸員に立ち会って頂きながら、山近剛太郎の坑内馬を描いた色紙と原田大鳳の《炭坑絵巻》を返却。
ちょうど館内では、9月10日から11月10日まで特別企画として山近剛太郎の炭鉱画や秘蔵の下絵の展示をしていたので、そちらの方もじっくりと拝見しました。
この展示のはじまる直前に、山近剛太郎の炭鉱画のもとになる貴重な下絵や参考資料が発見されたという話をN学芸員から伺っていたのですが、今回は、実際にその下絵などをひとつひとつ見せて頂きました。

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「作兵衛さんは脳内リアリズムだけど、山近さんは技術者だけあって、科学的なリアリズムだね」とMさんがおっしゃっていたように、下絵には緻密に計算された人体や坑道の奥行きの比率などの数字があちこちに描き込まれ、「炭鉱の絵には決して間違いがあってはいけない」という作者の思いが伝わってきます。
また、雑誌などから切り抜かれた、人体を描いた古今の画家たちの絵画や外国の炭鉱画の資料などもスクラップされていて、熱心な研究ぶりもうかがえました。とりわけ、ゴヤの《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》の絵の欄外に記された「血で赤色を出すこの絵こそ、坑内変災を画けと自分にいうのである(54.4.3.)」との書き込みには心を動かされました。

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直方市石炭記念館の裏手には、九州炭鉱救護隊連盟直方救護練習所時代に使われた訓練用坑道や圧縮空気式機関車などが残されています。

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前回、作品借用に伺った時には、裏手の方まで見る時間がなかったので、今回はその坑道の周辺も見せて頂きました。

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坑道の奥には、石炭記念館設立を機に1971年に建てられた炭鉱殉職者慰霊碑もあります。

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前庭には、1938年製で、30年間石炭輸送に走り続けたC11-131号蒸気機関車も展示。

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実際にこの機関車に乗って働いていたという現石炭記念館職員の方にお話を伺い、博物館のすぐ前に架かっている跨線橋にかつての直方駅の転車台が転用されていることも知りました。

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その後は、N学芸員の勤務先の直方谷尾美術館へ。
企画展「動物園がやってきた!! ようこそ!のおがたサファリランド」を観たのですが、出品作家の一人、角孝政さん(造形作家、不思議博物館館長)の射的で動物の的を倒す、という展示(というか、アトラクションのような……)に、Mさんが童心に帰って大よろこび。

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さらにEさんのリクエストで、白鳥のかぶりものをかぶって銃を構えるMさんといっしょに記念撮影。なんだかひどいことになっていますが、子どもたち(と、子どもの心を持った大人たち)は大いに楽しめる展示なのではないかと思いました。

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温泉好きのMさんのために、一日の締めくくりはEさんに案内されて、脇田温泉湯乃禅の里(宮若市)へ行きました。

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風情のある温泉の廊下の途中には竹原古墳という6世紀後半頃の犬鳴川流域の豪族の墓の横穴式石室が復元されていて、中国や朝鮮半島の影響を受けたとされる鮮やかな壁画に心を惹かれました。

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空にぽっかりと浮かんだ、満ちつつある月を眺めながら、水車風呂、寝風呂、小原庄助風呂、河童風呂という四つの露天風呂を楽しみ、旅の疲れをとりました。
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