2013/8/14

「山本作兵衛の生きた時代」展盛況は続く  企画展

お盆休みということもあり、この日も120人を超える入館者で賑わった丸木美術館。
山本作兵衛の炭鉱記録画の前では、この日も来館して下さった山本作兵衛のお孫さんの緒方惠美さんが、急きょ作品解説をして下さいました。

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途中からは、やはり山本作兵衛のお孫さんの井上忠俊さんも参加されて、和やかな雰囲気の説明会になりました。

さて、昨日のギャラリートークには、針生一郎元館長の長女のCさんが、どうしても上野朱さんにお会いしたいと駆けつけて下さいました。
その際、針生一郎の文章のなかに山本作兵衛が登場するという貴重な資料を頂いたので、紹介いたします。
『新日本文学』1983年7月号に掲載された「藤田省三と谷川雁 ―時代への証言―」という文章で、『サークル村』を共同編集していた谷川雁と上野英信についての回想が興味深いのですが、ここでは関連箇所のみ抜粋します。

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 その翌年(註:1964年)、まだ八幡製鉄にいた佐木隆三らの尽力で、北九州市の新日本文学会講演会に小林勝とともに赴くと、帰りに中間市にきてくれという上野英信君の伝言がわたしに届いた。そこでわたしは上野家と谷川家が隣りあって住むやや広い間続き長屋をはじめて訪れ、谷川が自分の連れ子、森崎和江の連れ子、二人のあいだの子の三男児を、「デモクラシーの幼児教育」と称して平等に扱うのを見たあと、上野、谷川とともに大正中鶴炭鉱の坑内を見学して、家族が留学中の上野家に泊った。彼らの用件は筑豊の坑夫で定年を迎えながら、独習で「炭鉱絵巻」を描きあげた山本作兵衛の画集を出版してやりたいとのことだったが、わたしが出版社との交渉に手間どるうち、上野と親しい福岡の画家菊畑茂久馬の斡旋で、数年後画集は出た。菊畑は六〇年代末の著書『フジタよ眠れ』で、藤田嗣治の戦争画に対抗しうるものと『炭坑絵巻』を賞揚し、教えに通う東京の美学校でも生徒に画集を模写させた上、山本を招いて講義させた。

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大らかな針生元館長らしく、細かい箇所は若干の齟齬(たとえば、菊畑茂久馬による『王国と闇―山本作兵衛炭坑画集』は1981年の刊行で、その前に『炭鉱に生きる : 地の底の人生記録』が1967年、『ヤマの仕事 筑豊炭坑絵巻:上』と『ヤマの暮らし 筑豊炭坑絵巻:下』が1977年に刊行されている)があるのではないかと思われる文章ではありますが、ともあれ、上野英信が針生元館長に山本作兵衛画集の出版の話を持ちかけたことがあったのだということはわかります。

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夕方からは、ポレポレタイムス社の皆さんの計らいで、東中野駅前の中華料理店にて、井上さん、緒方さん、上野朱さんと息子さん、本橋成一さん、正木基さん、そして上野さんや本橋さんと縁の深い絵本作家の山福朱美さんとお母様など、「炭坑展」関係者で集まって、夕食会を行いました。
初対面の方が多いにも関わらず、笑いの絶えない、とても楽しい会になりました。
今回の企画を通じて、「筑豊組」の皆さんとお近づきになれたことは、本当に嬉しく思います。
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2013/8/21  22:30

投稿者:ねもとちえ

あちゃ 一郎の文章は年代記風なのにウラを取らないから間違いが多くて、あちこちで物議を醸してきました。朱さんはこの文章を見るなり60年には、上野英信は中間を離れているので、これはありえない、とおっしゃっていました。(笑)すみません。年の記憶違いだけなのか、事実もなかったのか、菊畑さんに聞いてみようかな。


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