2013/8/10

上野朱『父を焼く 上野英信と筑豊』  書籍

「坑夫・山本作兵衛の生きた時代」展を機に、筑豊の炭鉱画家・山本作兵衛や井上為次郎、島津輝雄、そして写真家の本橋成一に深く関わった記録作家・上野英信にまつわる二冊の本を読んでいます。

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上野英信(1923〜87)は、広島で被爆したことを機に、北九州筑豊の地で、谷川雁や森崎和江とともに『サークル村』を刊行したり、炭住に移り住んで「筑豊文庫」と名付けた自宅を拠点に幅広い文化活動を行いました。

その英信の妻である上野晴子さんが記した『キジバトの記』(海鳥社)、そして長男の上野朱さんが記した『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店)を立てつづけに読み、いま、心のなかには、急速に「筑豊文庫」をとりまく世界が広がっているところです。

そして、朱さんの記された『父を焼く』のエッセイのなかに、山本作兵衛と丸木夫妻の仕事をつなぐ文章が登場していることを遅まきながら知って、とても嬉しくなりました。

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 山本作兵衛さんは一八九二年、福岡県笠松村(現飯塚市)の生まれ。小さいころから筑豊各地の炭坑で働き、閉山後は夜警として勤めながら、齢六十歳を過ぎて驚異的な記憶力をもって自らの労働や生活、炭坑風俗を描き始め、一九八四年に九十二歳で亡くなられるまでに千枚を越すといわれる絵を残した方であり、労働者として記録者として、そして酒飲みとしても、私の父が最も敬愛していた人物である。
 作兵衛さんの絵についての解説や残された仕事の意義については、『画文集・炭鉱に生きる』(一九六七年、講談社)や『王国と闇』(一九八一年、葦書房)などの書物があるので、ここであらためて述べることは控えるが、もし山本作兵衛という人物がいなかったなら、私たちは明治期の炭坑の様子などを目に見える像として受け取ることはできなかっただろう。そしてそれは広島に丸木位里・俊という二人の画家が現れず、『原爆の図』が描かれなかった、あるいは水俣が石牟礼道子という人を持たず、『苦海浄土』が描かれなかったというのと同じようなことで、その時その場所にその人物を配した天の深謀に、今さらながら私は感嘆し感謝するのである。


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丸木美術館の空間に、山本作兵衛の絵を展示できたことは、決して単なる偶然ではないのだと、あらためて思います。

8月13日(火)には、その上野朱さんに加えて、山本作兵衛のお孫さんの井上忠俊さん、緒方惠美さんが、わざわざ九州から来館して下さいます。そして本橋成一さんを交えて、午後2時から、山本作兵衛の絵の展示を背景にトークをして下さるという豪華な企画!
本当に見逃せない内容になりそうです。

ちなみに、『父を焼く』は現在、丸木美術館入口の企画展コーナーでも販売しています。
この機会にぜひ、お求めください。
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