2013/7/25

『埼玉新聞』(共同通信配信)“記憶伝えた原爆作品”  掲載雑誌・新聞

2013年7月25日付『埼玉新聞』に、共同通信配信の記事“芸術が語る 凄惨な体験 記憶伝えた原爆作品”が、全面掲載されました。
記事は、「絵が訴えた被爆の真実」として丸木夫妻の《原爆の図》が大きく紹介され、ほかに「原民喜の意志を受け継ぐ」(原民喜『夏の花』)、「被爆と闘病体験つづる」(石田雅子『雅子斃れず』)、「500分に込めた怒り」(峠三吉『原爆詩集』)という、計4本のトピックからなっています。

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以下に、丸木夫妻の「原爆の図」について書かれた部分のみを記事から抜粋いたします。

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 皮膚が垂れ下がった腕を前に出して歩く裸の男女、折り重なる数々の遺体。背丈ほどのキャンバスを黙々と見続ける人々。丸木位里と俊の夫妻が描いた「原爆の図」第1部「幽霊」が公開されたのは、広島への原爆投下から4年半後の1950年2月だった。
 「何が起きたのかわからなかった」。美術評論家ヨシダ・ヨシエさんは、初めて絵を見た印象をこう表現する。当時はアサヒグラフが被爆地の写真を初めて掲載する2年半前。「被爆地」を描いた画家はほかにもいたが、「人」を描いたほとんどなかった。
 連合国軍総司令部(GHQ)による報道統制の中、主催者は公開中止になることを懸念。題名を「八月六日」に変更して作品を発表したが、被爆の現実と悲惨さを訴える絵の力が衰えることはなかった。
 巡回展は文化人や労働者、学生らによって草の根で広がり、広島では原爆詩人峠三吉らが爆心地付近に展示。どこの会場も人があふれた。絵を背負って各地を回ったヨシダさんは「かぶっていた軍帽を投げ捨てて踏み付けた人がいた。それぐらいショックが大きかったのだろう」と語る。
 原爆の図丸木美術館(東松山市)の学芸員岡村幸宣さんは「情報が制限されている中、これが原爆という衝撃を与えたのではないか」と解説する。
 「こういう知らせ方があるのかと思った」と話すのは、横浜市の西岡洋さん(81)。自らも長崎で被爆し、顔の半分を失った人や血を流した赤ん坊を抱いた母親を目にしていた。東京都立大(現首都大学東京)の学生だった52年、学園祭で関わった被爆地の写真や資料の展示が評判を呼び、巡回展に同行。絵を前に被爆体験を語った。
 「見る人に圧力を与える量感がある」。何度も原爆の図に接して感じた。「子どもからお年寄りまで黙々と見ていた。あれだけ人々の心に食い込んだ展覧会はないのではないか」と振り返る。
 「誇張だろう」「こんなものではない」。原爆の図に対しては、さまざまな意見が寄せられたことも、丸木夫妻が画集に記した回想から読み取ることができる。
 それでも巡回展は53年10月までに、少なくとも36都道府県の160か所以上で開かれた。岡村さんは「実際の被害はもっとひどく、『被爆の実態』を描いているとは言えない。しかし、絵としての美しさが、これだけの広がりにつながったのだろう」と話している。


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取材をして下さったのは、共同通信大阪支社のT記者。
わざわざ丸木美術館を訪ねて丁寧に取材をして下さり、入院中のヨシダさんのもとも訪れて、いっしょにお話を伺いました。
良い記事を書いて下さり、心から感謝いたします。
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