2013/6/16

近田洋一“月桃忌”  講演・発表

琉球新報や埼玉新聞でジャーナリストとして活躍し、晩年には辺野古の米軍基地移設への抵抗を主題にしたコラージュの大作《HENOKO 家族の肖像》を発表した故・近田洋一さん(2008年死去)をしのぶ“月桃忌”が、浦和のコムナーレで開催されました。

会場には、近田さんが手がけた油彩画やコラージュ作品、陶器がならび、芸術を愛する近田さんの人柄が偲ばれる空間になっていました。

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写真は、近田さんの作品(《HENOKO 家族の肖像》はレプリカ)を前にして挨拶をする御子息の和生さんです。

午後4時からは、近田さんと沖縄の芸術をテーマにして、岡村が、2010年に丸木美術館で開催した「OKINAWA −つなぎとめる記憶のために−」展を中心にトークをさせて頂きました。
近田さんの作品が沖縄の歴史と現在を象徴する重要な作品で、ぜひ丸木美術館で展示をしたいと思ったこと。基地問題を主題にしていながら、家族の肖像を画面にちりばめた、ユーモラスで温かみのある作品であるということ。
そして、母方が沖縄の血をひく近田さんにとって、もちろん沖縄には深い愛着があるのでしょうが、実際に生まれたのは「南洋群島」ロタ島で、沖縄に住んでいる時間は生涯の1/3程度であり、外からの、いわば“越境者”としての視線で沖縄を見ているからこそ踏み込んでいける問題もあったのだろう、ということ。

後半は、会場の皆さん(もちろん、近田さんにお会いしたことのない私より、ずっと深く近田さんをご存知の方々なので、トークをするのは冷や汗ものだったのですが)からの発言を交えてディスカッションも行われました。
埼玉新聞文化部のSさんは、「近田さんの“外からの視線”は埼玉にも厳しく向けられていた」と回想され、近田さんとともに障碍者運動(駅と車椅子の問題)にとりくまれてきた方は、「私たちの運動は敗北の歴史であったが、30年後の現在はすべての駅にエレベータが設置されている。長い目で見れば勝ったんだと思う。近田さんはそうした希望を込めて記事を書いてくれた」と心を打たれる発言をされていました。

会場には長年沖縄問題などに取り組んで来られたジャーナリストの森口豁さんも出席されており、会の終了後に『東京新聞』に連載した「非核芸術案内」について、過分なお褒めの感想を頂いたことも、嬉しい限りでした。
近田洋一さんを偲ぶ貴重な場にお声掛け下さった和生さんに、心から感謝いたします。
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