2013/5/15

【筑豊出張初日】 筑豊文庫と山本作兵衛作品集荷・調査  調査・旅行・出張

7月13日からはじまる企画展「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭鉱をめぐる視覚表現」の作品集荷のため、元学芸員Mさんとともに福岡へ。
小倉駅に迎えに来て下さった山本作兵衛の孫のEさんの車で、まずは鞍手町に行きました。
かつて炭鉱住宅だった廃屋に移り住み、自宅を「筑豊文庫」として開放しながら、『追われゆく坑夫たち』(岩波書店、1960年)などの作品を発表し続けた記録作家の上野英信(1923-87)のご子息、上野朱さんを訪ねたのです。
朱さんも、古書店経営者であると同時に、『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店、2010年)などのすぐれた随筆を発表されている素晴らしい文筆家です。

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「筑豊文庫」跡に建つご自宅には、色あせてはいるものの、「筑豊文庫」の文字が記された看板が大切に保存されていました。

今回、お伺いさせて頂いたのは、企画展に出品する島津輝雄(1927-75)の炭鉱画作品をお借りするため。彼もまた、上野英信から炭鉱画を描く山本作兵衛という人物がいることを聞き、鞍手で絵筆を執ったという方です。

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以前から本橋成一さんにお話を伺っていた、ポレポレタイムス社の机のモデルになったという「筑豊文庫」時代の分厚い板机の前に案内され、早速、島津輝雄の炭鉱画の点検を行いました。

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作品梱包を終えた後は、朱さんお手製のお昼御飯をご馳走になりました。
ワラビの味噌汁やご自宅の庭で育てているというトマトやインゲン、そしてEさんが握って下さったおにぎりも、たいへん美味しく頂きました。

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板机に置かれたカンテラの向こうで珈琲を飲んでいらっしゃるのが、朱さんです。

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古い「筑豊文庫」の写真も見せて頂きました。
かつて炭鉱夫の住んでいた長屋、いわゆる「炭住」のひとつが廃屋となっていたところを上野英信が買い取り、そこが「筑豊文庫」となったのです。

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珍しい鳥瞰写真もありました。
聞けば、「毎日新聞にいたカメラマンが雲仙普賢岳噴火の取材のついでに、ヘリコプターで飛んできて空撮した」とのこと。それはもしかして……と思ったら、やはり、萩原義弘さんでした。全国の炭鉱の写真を撮り続けている萩原さんの作品も、今回の丸木美術館の展示では紹介させて頂きます。

   *   *   *

ひとしきり貴重な時間を過ごした後は、朱さんのお宅を後にして、ご遺族所蔵の作品を中心に、山本作兵衛の炭鉱画を保存管理されている作たん事務所へ。ここで今回の企画展でお借りする作兵衛作品59点をすべて梱包しました。
実は作品数が多いため、2日間にわたる梱包作業も覚悟していたのですが、作兵衛の孫にあたるIさんやEさん、そして地元の美術家・アートディレクターのBさんが手伝って下さったおかげで、予想以上に作業を早く終えることができました。
本当に、皆さん、とても温かく協力して下さって、ありがたい限りです。

その後は、Eさんに案内されて、田川市弓削田にある作兵衛さんの自宅の跡にも伺うことができました。

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すでに家が解体されてから10年以上が経過し、跡地は草が生い茂っていましたが、草をかきわけて進んで行くと、井戸がまだ残っていました。

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Eさんによれば、家の入口の坂道が、当時の面影をかろうじて残しているそうです。

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さらに飯塚に戻る途中、田川市図書館に常設展示されている、《山本作兵衛炭鉱画模写壁画》9点も見てきました。

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この壁画は、1970年から71年にかけて現代思潮社美学校の講師となった菊畑茂久馬の指導のもとに学生たちが共同制作した作品で、2009年に目黒区美術館で開催された「文化資源としての炭鉱」展や、先日まで東京タワーで開催されていた「山本作兵衛展」に出品されていました(今夏の丸木美術館の企画展には出品されません)。

   *   *   *

飯塚では、数日前に筑豊入りして撮影の仕事をされていた萩原義弘さんと合流し、Eさんのご案内で山本家のお墓にもお参りさせて頂きました。

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墓石には、少し読みにくいですが、右から3番目に「山本作兵衛」の名前が刻まれています。
墓前にお線香を供えて、展覧会開催の報告をさせていただきました。

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田川市と福岡県立大学所蔵の「山本作兵衛コレクション」が日本最初の“世界記憶遺産”(「世界の記憶」、英語表記はMemory of the World)に認定されたために、田川市の印象が強い山本作兵衛ですが、実は生まれは飯塚市で、筑豊各地の炭鉱を転々としていたため、炭鉱画も田川市の炭鉱の絵はそれほど多くはないのだそうです。

夜は、こうの湯温泉に浸かって身体の疲れを癒し、Eさんのお宅に泊めて頂きました。
美味しい夕食をご馳走になった上に、「作兵衛部屋」にならんでいた遺影や手作りの小引き出し、アルバムやさまざまな資料も見せて頂きました。

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炭鉱の様子や風俗を詳しく記録した彼の1000点にも及ぶという「炭鉱画」は、資料的価値という意味でももちろん非常に素晴らしいのですが、それだけではなく、一人の人間として、生きてきた証を記すために晩年になって絵筆をとり、独学で自分の世界を拓いていったという点では、丸木スマの絵にも重なり、心を打たれます。

作兵衛さんの蔵書もいくつか見せて頂きました。そこには、所蔵を示す印とともに、自分の気づいた点や書籍の誤りなどについて、細かく赤字で几帳面に書き込みがされているのです。
そのうちの一冊に、角川書店から出ている瀬川拓男・松谷みよ子編「日本の民話」シリーズ第12巻『現代の民話』がありました。
この刊には、炭鉱の民話として作兵衛さんの記録した話をもとにした物語も2編収録されていて、そこにも作兵衛さんが赤字を入れていることをEさんから教わりました。
実は、「日本の民話」シリーズの挿絵を手がけたのは丸木夫妻なのです。
ですから、もしかすると、作兵衛さんが松谷さんに語った民話に丸木夫妻が挿絵をつけていたかもしれない、とちょっとドキドキしながら頁をめくったのですが……残念ながら、炭鉱の民話には挿絵がありませんでした。

それでも、夏の作兵衛展のときには、どのように関連づけながらスマさんや丸木夫妻の絵本原画をいっしょに展示していこうかな、とあれこれ考えながら、夜が更けるまで作兵衛さんの資料を読ませて頂いたのでした。
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