2013/5/12

原爆の図第14部《からす》のモデル  来客・取材

午後から、駐広島大韓民国総領事館の辛亨根(シン・ヒョングン)総領事と、早稲田大学アジア研究機構日韓未来構築フォーラム主宰の小田川興さんが来館されました。

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辛亨根さんの御父様は、韓国原爆被害者援護協会会長として、長年、在韓被爆者運動を続けて来られた辛泳洙(シン・ヨンス)さん。
実は辛泳洙さんは、丸木夫妻が原爆の図第14部《からす》を描いた際にモデルをつとめられたそうです。
画面中央下部で、からすの群れの合い間から仰向けになって顔を見せている人物が、辛泳洙さんとのこと。さすがに辛亨根さんは、画面を見てすぐに「これが父です」と特定されました。

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小田川さんは、当時、朝日新聞記者として丸木夫妻を取材し、《からす》制作の様子も間近でご覧になっていたとのこと。
館内を案内して、小高文庫に上ったところ、丸木夫妻の旧蔵書のなかに、朝日新聞社より1975年に刊行された『被爆韓国人』(編=朴秀馥、郭貴勲、辛泳洙)がありました。
この出版には小田川さんも深く関わり、辛泳洙さんが「臨時の陸軍病院で迎えた解放記念日」と「怒りと感謝の日々」という二つの文章を記しているのはもちろん、当時20歳だった辛亨根さんも「父の悲運を引き継いで―被爆二世は主張する」と題する文章を寄せています。

辛亨根さんや小田川さんのお話をうかがって、1972年に描かれた原爆の図第14部《からす》が、在韓被爆者運動と密接な関わりを持っていたことを、あらためて感じました。
1999年に辛泳洙さんが亡くなられた際に寄せられた文章をまとめた「辛泳洙さんを偲ぶ」という以下のサイトには、小田川さんはじめ、丸木美術館の元理事で江戸川区の被爆者運動を続けてこられた銀林美恵子さんの文章が紹介されています。
http://www.asahi-net.or.jp/~hn3t-oikw/kaihou/No_25/9907_1shin.html
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