2013/4/28

原爆文学研究会福島フィールドワーク  調査・旅行・出張

2日目は福島フィールドワーク。
福島駅西口ロータリーに集合し、貸切バスに乗ってまずは福島市内のミネロファーム見学へ。
ミネロファームは、2012年1月に設立されたNPO法人「福島農業復興ネットワーク」が運営する牧場です。はじめに、NPOの事務局長のMさんが挨拶をして下さり、震災によって経営が困難になった牧場の土地と建物を借り受け、飯館村や浪江町から避難している酪農家の方々が共同運営しているというミネロファームの概要を説明して下さいました。
ちょうど新幹線の車内誌(『トランヴェール』、2013年4月号)にも特集記事が掲載されていましたが、フランスの乳製品メーカー、ダノングループからの復興支援の寄付金を受けるためにNPOが設立され、ミネロファームが誕生したそうです。

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やがて、ひと仕事を終えて事務所に戻ってきた場長のTさんがあらわれ、飯館村長泥地区で10年ほど酪農を営んでいたこと、そして放射能汚染のために牛を処分して飯館村を離れ、ミネロファームで働くようになるまでの詳しい経緯や心境を語って下さいました。

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地震の後、完全に情報から遮断された状況で、最初に汚染の情報を伝えてくれたのはフリーのジャーナリストだった。しかし、空気が赤く見えるとか、唇が痺れるという実感があるわけではないので、はじめは妙な数字や「シーベルト」なんて言われても、何のことかわからない。それより目の前のたいへんな状況を打開しなければいけないという思いが強かったのだが、いつまでたっても社会の機能が戻らないし、まわりの人たちがいなくなっていく。徐々に置かれている状況を理解していって、切なさでいっぱいになってしまった……。

「原爆文学研究会」のフィールドワークという情報が事前に伝わっていたせいでしょうか。
話は次第にTさんのプライベートな事情に発展していき、それはここには書きませんが、広島における「被爆者手帳」が飯館村にも必要なのか、健康面でのサポートが必要な反面、手帳の存在が差別を生み出すのではないか……という重い問いかけにもつながっていきました。

見学の人数が多かったため、雑菌の侵入を防ぐとの理由で牛舎の見学はできませんでしたが、牛の方は私たちの方を興味深そうに見学していました。
M事務局長がバスの車輪を消毒液で洗浄していたのがとても印象的でした。
飼料はすべて外国から輸入し、放射能測定だけでなく衛生面にも気を配っているという話とともに、ミネロファームが福島の酪農の信頼回復に尽力している様子が伝わってきました。

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現状の一番の課題は、共同経営型牧場の方法論の模索だそうです。
Tさんも、「個人的には飯館村にいた頃のように牛と綿密に接し、自然と調和のとれた遊び心のある仕事をしたいと思っているが、共同経営というのは他の人の生活も成立させなければいけないため、現状では生産性を追求しなければいけない」という葛藤を語っていました。
もっとも、福島の酪農を復興させたい、という熱い気持ちは、MさんからもTさんからも強く伝わってきて、心を打たれました。

   *   *   *

次に訪れたのは、あぶくま茶屋。
ここでは飯館村から避難してきた農家の女性たちが立ち上げた「かーちゃんの力プロジェクト」の皆さんが温かく迎えて下さり、お話を伺いながら手づくりのお弁当をいただきました。

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古代米にひじきの煮物、蕗の油いため、煮卵、さつまいもなど季節の素材がたっぷりの美味しい「笑顔弁当」でした。
(ウクライナ基準=野菜1kgあたり40ベクレル未満=よりもさらに厳しい基準を設け、1kgあたり20ベクレル未満の食品を提供しているそうです)

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食事のあとで、放射能測定のために毎日3食分の弁当を潰さなければいけない、というお話を聞きながら、3食分=1kgの弁当が入った袋を実際に手に持ち、その重みを実感しました。

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あぶくま茶屋は阿武隈川の渓谷沿いにあり、橋の下の方に降りていくと、美しい景観を見ることができました。この美しい山河が、目に見えない放射能に汚染されてしまったことを思うと、本当に胸が痛みます。

   *   *   *

最後に、バスで1時間ほど高速道路を走り、郡山市へ。
富岡町から避難してきた方々の仮設住宅のなかにある生活復興支援センター「おだがいさまセンター」を見学しました。

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仮設住宅といっても、ひとつの町だと思えるほど、規模の大きな地域です。

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その中心となって避難している人の心を支えているのが、「おだがいさまセンター」の存在。
福島原発事故直後の富岡町の方々の避難の状況から、ビッグパレットふくしま避難所の入所後の問題点の改善と運営組織の整備、そして「おだがいさまセンター」開所にいたるまで、センター長のAさんがたいへん詳しく報告をして下さいました。

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3つの場所でお話を聞きながら、3.11後の福島の混乱と分断、そしてそれぞれの置かれた状況のなかでの復興への努力と葛藤に、何度も涙が流れそうになりました。
情報のあふれる現在において、福島の状況もネットやメディアを通じて、いくらでも知ることができます。それでも、実際にその場所を訪れて、直接人の話を聞くことの意味というのは、どんな時代でも失われることはないのだということを、あらためて感じました。

まるで本職の旅行会社のように、非常に行き届いたフィールドワークの準備をして下さった原爆文学研究会の事務局、そして福島大学の皆さまに、心から感謝です。
本当に充実した2日間になりました。どうもありがとうございました。
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