2013/2/19

《女は水を汲みました》  作品・資料

少し前になるのですが、大阪大学のUさんから、1957年6月8日付『朝鮮民報』(朝鮮総連の機関誌で、『朝鮮新報』の前身)に、丸木俊の絵が紹介されているとご教示頂きました。

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丸木夫妻は、その前年に原爆の図世界巡回展のために中国を訪れ、北京で展覧会を開催。その後、北朝鮮に入って平壌で展覧会を行い、モンゴルを経由してヨーロッパに向かいます。そこで丸木スマの死の知らせを聞き、位里は56年の暮れに、俊は57年になってから相次いで帰国しました。

ですから、帰国後に北朝鮮を題材にした作品を制作して、それが朝鮮総連の機関誌に取り上げられることは不思議ではありません。
記事の存在は初めて知りましたが、画像を見ると、たしかに見覚えのある作品でした。
57年5月23日から東京都美術館ではじまり、全国9会場を巡回した毎日新聞社主催の第4回日本国際美術展に出品された《女は水を汲みました》と題する作品です。
モノクロではありますが、当時の日本国際美術展の図録に、画像も掲載されていました。

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丸木俊が描いた朝鮮人女性のイメージに関心を寄せている近現代史研究者Kさんの指摘で気づいたのですが、四曲一隻の屏風であったことが画像から見てとれます。
おそらくは、《原爆の図》と同じ紙本彩色で描かれたのでしょう。

Uさんからは、記事の仮訳も送って頂きました。

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婦人たちは水を汲んだ 丸木俊子画
◎…現在東京上野の都立美術館で開催中の「第四回日本国際美術展」の世界一九ヶ国の第一線の画家たちの作品中において、盛んに異彩を放っているのは、丸木俊子の『婦人たちは水を汲んだ』という一幅の絵である。
◎…丸木女史は、有名な「原爆の図」を携えて昨年九月共和国を訪問したとき、米帝と李承晩一味の野蛮な爆撃のもとでも水甕を頭に載せて水を運んで人民軍に差し上げ、はなはだしい場合には髪がみな抜け落ちてしまった婦人たちもいた、という事実を聞いて、その感動を再現したのである。
◎…同女史は言う『平和を勝ち取った今日、共和国の領土に***と建設事業場で翻る婦人たちの古典的で美しい衣装を回想しながら画き終えました。この絵を朝鮮に送りたい』…。


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また、その後のUさんの調査で、平壌で発行されていた朝鮮作家同盟中央委員会機関紙『文学新聞』第95号(1958年9月25日)に掲載記事があり、《女は水を汲みました》は朝鮮美術家同盟に寄贈されたと書かれていることもわかりました。

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北朝鮮には、今でもどこかに俊の描いた絵が残されているのでしょうか。
この頃の俊は、当時所属していた日本共産党の影響も大きかったのでしょうが、北朝鮮についての作品や文章をいくつか残しています。それらを、今日的な視点でどのように見ていけばいいのかは、今後の調査研究の課題となるでしょう。
あるいは、イデオロギー的な批判の対象になることがあるかもしれません。

時代の変化によって、人間の視線は揺れ動きます。
戦時下の時代を含め、俊の視線も、その揺らぎを免れているわけではありません。
それでも、この優美な絵は、俊の視線が、市井に生きるひとりひとりの人間/女性の存在を肯定的に捉え、可能性を信じるところから出発している、その部分は揺らいでいないことを示しているような気がするのです。
この時代の、彼女なりの目から、核(を保有する強国)に対峙する人間/女性を描いた作品と言えるのではないでしょうか。

1週間ほど前、北朝鮮が核実験を行ったというニュースに、沈鬱な気持ちになりました。
核を保有したところで、いいことなんて何もないのに。
北朝鮮だけではなくて、アメリカも、ロシアも、イギリスも、フランスも、中国も。
インド、パキスタン、それからイスラエルも。
すべての核が世界からなくなる日が、一日でも早く来ることを願っています。
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