2012/12/11

ジャン・ユンカーマン監督と対面  作品・資料

午後から、東京・中野区の喫茶店で、映画監督のジャン・ユンカーマンさんにお会いしました。
実は、ユンカーマンさんには、これまで電話やメールで何度もご連絡をしていたにも関わらず(ユンカーマンさんが丸木美術館に来て下さったときに私が不在だったこともありました)、直接お会いするのは初めてだったのです。

今回は、元TV局プロデューサーH川さんや被爆者団体H田さんとともに、ある企画についてのご相談にうかがったのですが、とても優しく対応して下さったので、心強く思いました。

ユンカーマンさんの言葉で記憶に残っているのは、2003年8月6日に放送されたNHK国際短波放送の“「原爆の図」は今”という番組のなかのインタビューです。
『丸木美術館ニュース』第78号(2003年12月25日発行)に抄録をまとめる仕事をしたこともあって、そのインタビューはひときわ印象深いです。
以下は、その抄録からの抜粋です。
(N=ナレーション、加賀美幸子/JJ=ジャン・ユンカーマン)

==========

N 1975年、一人のアメリカ人が丸木美術館を訪れました。
名前はジャン・ユンカーマンさん。そのとき23歳でした。

JJ 日本に初めて来たのは高校生のとき。広島と長崎をまわって資料館などを見たけれど、そこに抜けているのは人間の像、人間の顔なんですね。
丸木美術館の「原爆の図」を見たときに、初めて被爆者の顔を見たという感じがしたので、大変ショックを受けて感動しました。


N ジャン・ユンカーマンさんは1952年に生まれました。父は朝鮮戦争に従軍した軍医で日本にも駐留していました。本棚には原爆の資料や写真集が並び、幼いユンカーマンさんはそれを見ておびえました。

JJ やっぱり怖かったですね。まだ子どもだから理解はできてなかったかも知れないけど、あの当時は意識的には誰でも、大人の中では原爆が大きな存在ではなかったかと思います。

N 世界は冷戦の時代でした。

JJ ぼくが一番よく覚えているのはキューバ危機です。62年、ぼくは10歳でした。当時、ぼくは死ぬんだなと思っていたんです。核戦争が起こるという恐れが強かったんで、泣き出して、お母さんのところへ走っていったことを覚えています。

N 1964年、アメリカは北ベトナムに爆撃を開始し、ベトナム戦争への介入がエスカレートしていきました。12歳のユンカーマンさんは小さな平和団体に入って平和を訴えるボタンをつけたり、ステッカーやポスターを貼ったりしました。高校生のとき、ユンカーマンさんは日本に留学して広島を訪れました。

JJ 平和公園に行って原爆ドームを見て、犠牲者のことを考えると深い責任感を感じたし、アメリカが原爆を落としたことには特別な責任があるとぼくは思うんですけどね。

N スタンフォード大学日本語科を卒業し「原爆の図」に出会ったユンカーマンさんは、「原爆の図」をアメリカの人々に紹介したいと映画の勉強を一から始めました。
10年がたちました。望みがかなって1985年、丸木夫妻のドキュメンタリー映画「劫火」を監督したとき、ユンカーマンさんは「劫火」、地獄の炎を描いている位里さんのひとことに強く打たれたのです。

JJ 天国なんてないと言うんですね。誰だって地獄に落ちると。善と悪というように分けられないんですね、世の中は。戦争が起こったら、戦争をやった人だけが責任を持つんじゃなくて、ぼくたちにも戦争を反対しきれなかったところに責任があるんじゃないかという発想で、とても大事だと思うんです。

N 映画「劫火」はアカデミー賞候補にノミネートされ、今もアメリカで上映されています。2002年、ユンカーマンさんは世界的な言語学者ノーム・チョムスキー博士が平和を訴えて講演するドキュメンタリー映画『チョムスキー9.11』を監督しました。
現在、ユンカーマンさんは、なぜアメリカが世界中の反対を押し切ってイラクを攻撃したかについて考え続けています。
ジャン・ユンカーマンさんにとって「原爆の図」は今、どんな存在なのでしょうか。

JJ 人間とか人生の存在を否定するのが原爆です。原爆は人間の存在を否定するものなんです。それに対して「原爆の図」は、とても強い武器、ウェポンになるんです。人間の大切さを訴える武器になると思うんですね。
そういう力になり得るということは、ぼくにとって大きな勉強になったし、今でもそういう仕事ができるといいなと思うモデルでもあるんですけど。


==========

ユンカーマン監督が丸木夫妻を記録した映画『HELLFIRE:劫火―ヒロシマからの旅』は、1988年の第60回アカデミー賞記録映画部門にノミネートされるなど、国内外で高い評価を受けました。
米国のアカデミー賞は惜しくも逃しましたが、「東中野アカデミー賞」を受賞してポレポレ坐で授賞式が行われたと当時の新聞記事(1988年4月15日付『朝日新聞』)に報じられています。

現在、ユンカーマン監督は新たな映画の撮影にとりかかっていらっしゃるとのこと。
その構想についても少しばかり話をお聞きしたのですが、忙しい時期にわざわざ時間を割いて下さったことに、心から御礼を申し上げます。
0




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ