2012/12/7

第1次琉大事件と“原爆の図”  1950年代原爆の図展調査

原爆展の開催など大学への届け出なしに平和運動を行ったことを理由に、4人の学生が退学処分になったことで知られる1953年4月の「第1次琉大事件」。
このとき、復帰前の沖縄で《原爆の図》が展示されていたという情報が以前から気になっていたのですが、先日、大阪大学大学院「日本学方法論の会」でお世話になったU先生や院生のYさんから資料を提供していただき、当時の状況がわかってきました。

1953年3月17日付『沖縄タイムス』朝刊に、次のような記事が掲載されています。

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“原爆図”で訴う 琉大生全島廻り平和運動

“再び原爆の悲劇を繰返すな”写真の“この子の「目」を見よ”“戦争はいやだ”
十六日、那覇市内の辻々で琉大生活擁護委員会の学生約十名が、プラカードをかざし、道ゆく人に呼びかけていた。十二日から春休みになつた琉大生らがアルバイトの暇をみて平和愛好者五十名で申合せ、一日十名ずつ、アサヒグラフから切抜いた“原爆の図”三十点をはり出して、かわるがわる説明に立ち「皆で協力すれば必ず平和になれる、この図を沖縄全島の人びとに見せたいのです。私たちの運動にお力ぞえを…」と訴え運動費を募っていた。
……(以下略)

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写真の説明にも、【写真は原爆の図に見入る人びと】と記されているのですが、記事を読めばはっきり書かれている通り、展示されていたのはアサヒグラフ(1952年8月6日号の原爆特集)から切り抜いた写真だったようです。

現存する唯一の「原爆展」写真という、『琉大事件とは何だったのか』(大学人九条の会沖縄 ブックレット編集委員会編、琉球大学大学院法務研究科発行、2010年)の表紙に使用されている浜田富誠氏所蔵の写真を見ても、はっきりとアサヒグラフだとわかります。

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1953年の沖縄に展示されたのは、どうやら(複製も含めて)《原爆の図》ではなかったようです。
もっとも、見逃せないのは『沖縄タイムス』が原爆写真を「原爆の図」と報じていること。
当時、原爆写真と《原爆の図》がいかに混同されて広がっていたかをあらわす「誤報」として、興味深い記事なのは間違いありません。
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