2012/11/29

一宮市三岸節子記念美術館「生誕100年丸木俊展」報告  館外展・関連企画

昨日、一宮市三岸節子記念美術館で開催されていた「生誕100年丸木俊展」の作品が無事に返却されました。
会期中に掲載された新聞記事のコピーを頂いたので、以下に紹介いたします。

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まずは2012年10月5日付『朝日新聞』尾張・知多版の紹介記事。
杉山章子学芸員が「三岸節子と丸木俊は女子美術専門学校(女子美術大)の同窓で、ともに女性洋画家の先駆者でした。創造性にあふれた多彩な作品を残した俊のたくましい歩みを知っていただく絶好の機会です」とのコメントを寄せています。

2012年10月12日付『朝日新聞』愛知県版の広告特集では、俳優の天野鎮雄さん、山田昌さん夫妻による「画家 丸木俊の魅力を語る」という対談が掲載されました。
以下は、その一部抜粋。
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 ……「あの大作を前にすると、立ちすくんでしまう。ぼう然とするような迫力がありました」と第一印象を語る天野さん。「初めて見た時、ただの裸婦のようにも思えましたが、爆風で身に付けていた服も吹き飛んでしまったのでしょうね。戦場のうめきやにおいさえ漂ってくるような。本物ってすごいですね」と山田さんが言葉を添えた。筆舌に尽くしがたいほどの惨状を、どのように描けば見る人の心に伝わるのか。原爆の図に描かれた傷のない少女の美しい裸体には、夫妻の苦悩の跡がにじんでいるのであろう。いずれの作品も二人で構想を練り、俊が細部を描きこむと、位里は上から墨を流し、さらに俊が描いて位里が消して……と、二人の画家は創作をめぐって格闘を続けた。丸木俊の自伝『女絵かきの誕生』には、当時の模様が俊の言葉で淡々とつづられている。

 展覧会での朗読を機に本書を一晩で読み上げたという山田さんは、丸木夫妻の創作活動をこう語る。「位里が墨を流した後、俊さんの『あーあ』という言葉が一番印象に残りました。私たち夫婦だったら、取っ組み合いのけんかになるところですが、そうじゃない。俊さんは位里さんを信頼していたのでしょうね。結果的にできあがった作品は、後世にその名を残す傑作となりました」。
 俊の洋画家としての優れたデッサン力による群像表現と位里の伝統的な日本画の手法が融合したからこそ、絵画の世界に新分野を作りだすことができたのであろう。生前の丸木夫妻と交流のあった天野さんは、「僕がお会いしたのは20年前のことでしたが、あの激しい作品からは想像もつかないほど、穏やかなご夫婦でした」と振り返る。

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天野さんと山田さんは、会期中に朗読会「丸木俊 女絵かきの誕生」を開催され、大盛況だったと聞いています。

2012年10月26日付『信濃毎日新聞』東海版展覧会欄にも紹介記事が出ています。
「……波乱に富んだ人生の時代ごとに作品を六つに分けて展示。モスクワ滞在中は毎日1枚のスケッチを自分に課していたといい、鉛筆や水彩で描いた人物や劇場風景が多い。「女ゴーギャンになる」と渡ったパラオでの作品は、鮮やかな色彩と伸びやかなタッチが印象的だ。
 原爆の図は俊が主に人物を、位里が彩色や背景を担当。全15作品のうち、第2部「火」を展示している。戦後の作品では「解放されゆく人間性」と題した力強い裸婦像と口に手を当て背景を黒く塗った自画像が目を引く。


同じ2012年10月26日付『岐阜新聞』イベント欄にも記事が出ています。
「……パラオから帰国後に南の島の女性たちの踊る様子を描いた「踊り場」は約70年ぶりの公開。ペンの細かい線で丹念に描かれた墨絵のびょうぶ仕立ての作品は不思議な躍動感をみせる。
 一方で優れた描写力を生かして手掛けた絵本は150冊に及ぶ。今回は南洋をテーマにした色鮮やかな「ヤシノ木ノ下」や原爆を描いた「ピカドン」など代表作45冊を紹介している。
 そして原爆の図は、1950年に位里と制作した「第2部・火」のほか俊自身が描いた「横たわる母子像」など数点を展示。「第2部・火」は、見る者を立ちすくませるすご味と迫力を見せる。……自然と人を愛し、豊かな創造性にあふれた作品を描き続けながら、原爆の悲惨さを訴え、人間の業を見つめてきた女流画家の波乱に富んだ生涯をたどる展覧会でもある。


そして2012年11月1日『日本経済新聞』愛知県版夕刊には、美術評論家の天野一夫さんが展評を書いて下さいました。
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……特に南洋の現地の人とともに暮らした濃密な4ヵ月で、俊は女たちの「休み場」や、銅山の「アンガウル島へ向かう」船などで、通常の主題の裏面に着目し、南方の強い光線の裏の対比的な深い闇のカオティックな情念を集合的に描こうとしている。
 1944年の闇の中で耐えた意志を示す自画像を経て、47年の「裸婦―解放されゆく人間性」では、正しく始原的な森から立ち上がる、原始的なエナジーを感じさせる象徴的な絵画で、それも作者が女であることを考えればその立ち姿は、近代からのそれも含め何重かの自立を示しているだろう。同年の手で筆を掲げ持ち、社会に宣言するような自画像とともに基点となったであろう作品だ。
 その翌年から取りかかった「原爆の図」は、その後、手持ちで全国巡業して原爆の悲惨さを伝える貴重なメディアとなったのだが、戦後の中、画家が、そして絵画が一旦裸形のままに世界に対すことで、我々はこれまでに無い絵画を持つことになったのだ。

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生誕100年という節目にふさわしく、丸木俊の再評価につながる展覧会になったことと思います。

また、展覧会の終了にともない、三岸節子記念美術館で販売されていた「生誕100年 丸木俊展」図録を、丸木美術館でも扱うことになりました。

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販売価格は1800円。
意外にも、俊にとって初めての個展図録。小沢節子さんの論考や、俊の南洋・モスクワノートの書き起こしなどの資料が収録された貴重な一冊です。
一宮の展覧会を見逃してしまったという方は、ぜひ丸木美術館でお求めください。
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