2012/11/10

大阪大学大学院・日本学方法論の会 研究会「被爆体験とその表象  講演・発表

午後1時より、大阪大学待兼山会館会議室にて、2012年度日本学方法論の会 研究会「被爆体験とその表象」に参加しました。

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チラシは大阪大学文学研究科院生・西井麻里奈さんのデザインです。
私は、『われらの詩』研究会などでたびたびお会いしている大阪大学の宇野田尚哉さんにお誘いされて、原爆の図の巡回展を中心とする発表をさせて頂きました。

宇野田さんは、詩人の金時鐘や作家の梁石日が若き日に大阪で発行していたサークル誌『ヂンタレ』に注目されるなど、1950年代の在日朝鮮人の文化運動の研究に取り組んでこられました。
その後、広島で1949年から53年にかけて詩人の峠三吉を中心に発行されていたサークル詩誌『われらの詩』を研究され、占領下、そして朝鮮戦争が勃発するという状況のもと、当時の左派の青年たちがどのような言葉で時代と対峙し、被爆体験がどのようなかたちで想起されたのかを考えていくなかで、峠三吉とも関係の深かった丸木夫妻の《原爆の図》と、その全国巡回展の重要性に注目されるようになったそうです。

そういうわけで、今回の私の発表は、初期の《原爆の図》が当時あらわれつつあった他の原爆表現とどのように違っていたのか、占領軍とのせめぎあいのなかでどのように全国に広がっていったのか、その後の共同制作がどのような葛藤を抱えながらテーマを深化し拡大させていったのか、という内容で行いました。
当時の巡回展の様子を記録した貴重な映像、1953年に今井正・青山通春監督によって制作された映画『原爆の図』も上映しました。

コメントは文学研究科院生の山本潤子さんが担当され、体験の「中心」の不在を想像力で表現した《原爆の図》に向き合う際、私たちの想像力の強度は何を足がかりとして確かにしていけるのか、被爆市民の描いた「原爆の絵」をもうひとつの極とした場合、絵画として《原爆の図》が構築した強固な世界観はどのように見る側に迫ってくるのか、などの問題提起をして下さいました。

   *   *   *

戦時中、広島で地下壕を掘った在日韓国人の強制労働の証言を記録した『土の記憶』(2005年)や、在韓被爆者の帰国後の生活を記録した『狂夏の烙印』(2009年)を撮影されたイトウソノミさんの発表も非常に興味深いものでした。

総合討論では、会場から(11月3日に一宮市立三岸節子記念美術館で講演された小沢節子さんが言及されたという)丸木俊が1949年に描いた油彩画《広島製鋼事件によせて》のチマチョゴリの女性像に関する質問もありました。

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《原爆の図》にはっきりと朝鮮人被爆者のイメージが描かれるのは、1972年制作の第14部《からす》まで待たなければなりませんが、その以前に丸木夫妻が朝鮮の人びとの存在にどのように目を向けていたのか、1950年代の全国巡回展の際にもたびたび関わりがあったはずなので、そのあたりも今後調べていきたいところです。

研究会のあとは、参加者の皆さんと打ち上げに参加。
夜は東京行き最終便の新幹線で移動して、翌日のトークに備えて名古屋泊です。
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