2012/10/23

赤松俊子と『コドモノクニ』  作品・資料

先日、『日本経済新聞』に紹介された赤松俊子(丸木俊)の『コドモノクニ』の仕事について。
遺族のH子さんが詳しい資料を見せて下さったので(深謝!)、以下に覚書を記しておきます。

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俊が最初に『コドモノクニ』に掲載した童画は、1944年1月号に掲載された「オフネノ トモダチ」でした。文を書いているのは、後に『二十四の瞳』を記した作家の壷井栄です。

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船乗りの息子が丘の上に立って、日の丸を振りながら父親の乗る船を見送る場面が描かれています。父親の船が「ゴヨウセンニ メサレテカラハ」一度も村の沖を通らないけれども、息子は父親の友達の船だと思って旗を振り続けているという内容です。

『コドモノクニ』は1944年3月号(先日の日経新聞にも紹介された俊の「海洋少年団」が掲載)を最後に、出版統制により22年間の歴史に幕を閉じます。
大正期のモダンな雰囲気と児童教育への意識の高まりの中から誕生し、美術、文学、音楽などの表現分野の第一線で活躍する作家たちの仕事を子どもたちに提供し続けてきた絵雑誌の最末期、不本意ながらも次第に戦時体制追従を余儀なくされていくなかで、俊は『コドモノクニ』にデビューしていたのですね。

「海洋少年団」は、絵だけではなく短い説明文も俊が記したのでしょう。

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俊はこの前年、1943年1月に誠美書閣から『海の子魂 海洋少年団南洋遠航実記』(原道太作、初版6,000部、1円50銭)という書籍の装幀・挿絵を担当しています。
著者の海洋大佐・原道太が団長となって、13歳以上23歳までの18人が参加し、1934年7月15日から11月1日まで、「義勇和邇丸」でマニラ、サイゴン、バンコク、昭南島(シンガポール)、パラオ、ヤップ、サイパンなどを経由した112日間の海洋少年団の航海の記録です。
丸木美術館の蔵書ではないので、内容をすぐに確認することはできませんが、この遠航記の一場面を幼児向けに描いて『コドモノクニ』に発表したのではないかと思われます。

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当時の子どもたちに夢を与え、戦後に活躍する手塚治虫やいわさきちひろらにも多大な影響を及ぼしたと評される『コドモノクニ』は、2010年から11年にかけて、全5巻の名作選がまとめられています。
俊の「オフネノ トモダチ」はvol.5(ハースト婦人画報社)に、「海洋少年団」はvol.1の下巻(アシェット婦人画報社)に収められています。

巻末の資料を見ると、武井武雄や初山滋といった当時の代表的な童画家だけでなく、竹久夢二、岡本一平、伊東深水、東山新吉(魁夷)、古賀春江、村山知義、三岸節子、柳瀬正夢、藤田嗣治、脇田和、野田英夫といった画家たちに加え、写真家の土門拳やグラフィックデザイナーの亀倉雄策らも絵や写真を手がけ、文学者では野口雨情、北原白秋、西條八十、室生犀星、サトウハチロー、濱田廣介、新美南吉、小川未明、島崎藤村、中野重治、まど・みちお、坪田譲治、金子みすゞ、横光利一など錚々たる顔ぶれが原稿を寄せています。

幼児向け、という枠を越えた内容の充実ぶりには、あらためて圧倒される思いがしました。
福音館書店の「こどものとも」シリーズに代表されるような、戦後の日本の児童向け文化の豊穣さの原点も、『コドモノクニ』にあったのだと感じます。
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