2012/7/14

ヒルサイドフォーラム「粟津潔の世界展」竹内万里子×新井卓トーク  他館企画など

練馬区美術館「生誕100年 船田玉樹展」レセプションの後は、代官山のヒルサイドフォーラムで開催中の「没後3年 マクリヒロゲル、粟津潔の世界」展へ。

戦後日本を代表するグラフィック・デザイナーである粟津潔。
というよりも、枠にとどまらず、あらゆる表現領域を横断して自由に活動し、また、社会と向き合い続けた稀有な存在である彼のポスターやドローイング、写真が会場全体にはりめぐらされ、熱度の高い空間ができあがっていました。

例えば、米軍の軍事演習のため漁場を奪われた漁民たちの反対闘争ポスター『海を返せ』(1950年、日本宣伝美術会日宣美賞受賞)に描かれた漁民の表情の根ぶとさ。
1959年に杉浦幸平と共同制作した第5回原水爆禁止世界大会のポスター(日宣美会員賞受賞)では、ベン・シャーンばりのペン画で屍の群を描いた上に、放射状の直線が配置され、「爆心」を象徴的に表現しています。
『砂の女』や『他人の顔』などの勅使河原宏の前衛映画や、演劇作品のポスターの仕事も数多く見られます。
予定調和に迎合しない孤独な自由さ、そして目の前の現実に表現の力で関与しようという意志と熱情。さまざまな思いが湧き上がってくる必見の空間です。

クリックすると元のサイズで表示します

写真は会場風景と、イベントの挨拶をする粟津潔の長男のケンさん。
この日は、丸木美術館で企画展を行っている写真家の新井卓さんと、評論家の竹内万里子さんによる、「写真と言葉 ひとりずつで立ち上がるために」と題するトークが行われたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

銀板写真という写真黎明期の技法をあえて用いて、震災後の福島のかけがえいのない“記憶”を残す試みを続ける新井卓さん。
ルワンダのジェノサイド(集団殺戮)の際に「武器」として性的暴力を受けた母親とその子どもたちの写真集を翻訳して日本に紹介した竹内万里子さん。
二人の共通点は、写真の作家・評論家という狭義の枠にとどまらずに、一人の人間として、目の前の社会が抱えている問題に向き合いながら活動を行っていることです。

印象に残ったのは、“批評家”という肩書きについて竹内さんが語られていた言葉でした。
自分では“批評家”という言葉はあまり好きではないけれども、一番みんなが納得してくれる肩書きなので名乗っている。それでも、自分なりに見えてきた“批評家”としてのスタンスは、「そのときの自分の手つき、足もとをも批評的に見ていく仕事」だというのです。
作家や批評家は社会問題に関与するべきではない、という風潮は確かに日本にあります。
しかし、竹内さんは、ただ書くだけではなくて、問題と出会ったことで自分でも思いがけない方向に展開しながら、現実の社会と関わっていくことも必要なのではないか、と考えているようです。そうしないと、子どもの頃好きになれなかった、口で言うだけで何もしようとしない「イヤな大人」、「イヤな批評家」に自分がなってしまう、と。

その思いは、私にもよくわかるような気がしました。
そして、その仕事の先に見えてくるのが、粟津潔であり、あるいは丸木夫妻やベン・シャーンの姿でもあるのです。
次週、7月21日(土)午後5時からは、今度は第五福竜丸展示館学芸員の安田和也さんと岡村が、「ベン・シャーン、丸木位里、俊、粟津潔と……今、ぼくたちが思うこと」と題するトークを行います。
どんな内容になるのかは、あまり安田さんとは打ち合わせをしていないので当日の出たとこ勝負になるのですが、ご来場頂ければさいわいです。

竹内さんと新井さんのトークの後は、「マクリヒロゲル筝 沢井一恵」のコンサート。
小柄な身体の全体を使って、筝とは身体表現である、ということを示してくれたような沢井一恵さんと、若き尺八奏者長谷川将也さんの圧倒的な演奏世界を堪能した後、皆さんにご挨拶をして、ひと足早くヒルサイドフォーラムを後にしました。

クリックすると元のサイズで表示します

写真は会場の外から。
まだ熱の冷めきれない空間が、闇のなかにぽっかりと浮かび上がっていました。
5




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ