2012/3/28

朝日新聞社/目黒区美術館  調査・旅行・出張

午前中は東松山CATVのIさんが来館。
丸木美術館紹介ビデオの最後の映像チェックを行いました。
また、日頃ホタルの里や河童会議などでお世話になっている環境保全課のKさんも来館。
2012年度から市の部署の構成が大きく変わるため、Kさんも異動になるそうです。
年度の変わり目はさまざまな別れと出会いの季節でもあります。

   *   *   *

午後からは、築地にある朝日新聞本社の週刊朝日編集部へ行きました。
30年以上前に『アサヒグラフ』に掲載された、福島原発の労働現場のルポルタージュによせて漫画家の水木しげるさんが描いたイラストレーションを見せて頂きました。
茶色く変色した当時の雑誌(1979年10月26日号・11月2日号)は、大判サイズの上に細部まで綿密に描きこまれた描写で、非常に見応えがあります。もっとも、残念ながら原画は行方不明(水木さんは自身の絵を切り貼りして別の絵を作ってしまうことがあるとか……)とのこと。

クリックすると元のサイズで表示します

このイラストレーションとルポルタージュは、『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(文=堀江邦夫、絵=水木しげる、朝日新聞出版社、2011年発行)として再刊されています。

   *   *   *

その後は、文化部のO記者とお会いして、喫茶店でお茶を飲みました。
丸木美術館の企画展や、完全中止になった目黒区美術館の原爆展の話題など。
1時間ほどお話したあと、O記者と別れて目黒区美術館へ。

目黒区美術館では、「メグロアドレス 都会に生きる作家」展を開催中。
展覧会を見た後、原爆展でお世話になった学芸員のMさんとIさんが3月末で退職されるので、学芸員室へ行きました。
Iさんも来られていて、ご挨拶ができたのでよかったのです。
Mさんからは「‘文化’資源としての〈炭鉱〉展「夜の美術館大学」・講義録」(「補講」として、美唄市の研究家Sさんによる「GHQ占領下の『原爆の図』 北海道巡回展1951年10月28日-1952年5月1日」が収録されています)を頂き、Iさんからは武蔵野美術大学研究紀要の抜刷「美術館としての原爆堂に関する覚え書 ―丸木位里・俊夫妻と白井晟一の交流について」を頂きました。
これらの貴重な資料については、後日あらためてご紹介いたします。

膨大な炭鉱と原爆の資料に囲まれた資料部屋で、話し出したら止まらないMさんと、午後7時半近くまで話し込みました。 これも最後かと思うと少し寂しい気がします。
美術という領域の価値基準からゆるやかに逸脱し、視点を変えて読み解いていけば、魅力的な表現は社会のなかにたくさん存在するということを提示したのが、近年のMさんの仕事の重要な意味だったのだと、お話を聞きながらあらためて思いました。
結局は実現できなかったけれども、Mさんの「原爆展」に関わることができたのは、やはり自分にとって本当に貴重な体験でした。
心から、Mさんに感謝いたします。
3




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ