2012/2/16

『朝日新聞』埼玉版“「原爆の図」に人間愛 丸木俊生誕100年展”  掲載雑誌・新聞

2012年2月16日付『朝日新聞』朝刊埼玉版に、“「原爆の図」に人間愛 丸木俊 生誕100年展、100点並ぶ”との見出しで、現在、丸木美術館で開催中の「生誕100年 丸木俊展」が紹介されました。
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001202160001

取材して下さった西埼玉支局長のMさんは、会期前の事前取材に加えて、初日の対談イベントにも来場して下さいました。心より御礼を申し上げます。
以下、記事から一部を抜粋します。

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(前略)
 俊は、女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業後、外交官の子の家庭教師としてモスクワに住み、ロシアの家庭や少年少女、劇場での芝居、風景画などを描いた。タヒチの人々を描いたゴーギャンにひかれ、1940年にパラオやヤップ島を訪れ、生き生きと暮らす島民を描いた。

 帰国後、水墨画家の丸木位里(1901〜95)と結婚。45年の原爆投下直後、位里の実家があった広島に2人で入った。
 「原爆の図」は、肌が焼けただれた母子が朱色の火から逃げ惑う様子や、水を求めた人々の裸体が川辺に折り重なる様子などを描いた。苦痛を訴える人々を主に俊が描き、位里は墨を流して全体の情景を構成。50年に第1部「幽霊」を発表し、82年までに全15部を完成させた。

 丸木夫妻とともに展覧会を開いていた画家の平松利昭さん(65)は「俊さんは全身全霊で感じ、自分の中にたまった叫びを、自由自在な筆づかいで描いた」と評する。
 同美術館の岡村幸宣学芸員は、島民らを描いた作品について「大地に根をおろして生きる無名の人たちへの愛情の視線が見える」と話す。その上で、「長い年月をかけて育んできた暮らしを破壊し、人々の命を奪った戦争への怒りが、『原爆の図』を描かせた」と読み解く。
 東京電力福島第一原発事故から、来月で1年。生前の俊について、めいにあたる絵本作家の丸木ひさ子さん(55)は、「『原発は、ゆっくり燃える原爆だ』と言っていた。人が幸福になるために、自然を汚してはいけないという思いが強かった」と証言する。

(後略)

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