2012/2/12

銀座シネパトスにて今井正監督映画『原爆の図』『純愛物語』特別上映  館外展・関連企画

銀座シネパトスで、1月23日から「生誕百年 今井正監督特集」が行われています。
『また逢う日まで』や『青い山脈』、『山びこ学校』、『ひめゆりの塔』など数々の名作で知られる今井正監督の生誕100年を記念し、全監督作品48本の中から選りすぐりの名作を第1部(1/23-3/2)、第2部(3/31-5/3)に分けて上映する企画です。

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この日は、『米』や『純愛物語』など今井正作品で共演したことがきっかけで結婚された江原真二郎さんと中原ひとみさんをゲストに迎えたトークショーや、映画『原爆の図』(1953年、丸木美術館提供)と『純愛物語』(1957年、東映)の特別上映が開催されました。

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ロビーの壁には映画『原爆の図』と『純愛物語』の詳しい資料も展示され、「生誕100年丸木俊展」のチラシも置いて下さっています。

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トークショーでは、日本映画全盛期を知る江原さん、中原さんが、デビューのきっかけ(江原さんは京都の撮影所の大部屋出身、中原さんは東映ニューフェースの1期生と対照的なデビューだったそうです)や、当時の映画界の様子、今井正監督との思い出などを語って下さいました。

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トークの後は、映画『原爆の図』と『純愛物語』の16mmフィルム上映。
映画『原爆の図』は、これまでに何度も見ている作品ですが、映画館の大きなスクリーンで観るのは初めてです。
今井正・青山通春監督となっていますが、青山監督の回想によれば、実際には青山監督が撮影されたとのこと。

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(前略)長年助監督の仕事をしていた私は、プロデューサーの岩崎昶さんから今井さんと一緒に「原爆の図」の記録映画を撮ってみないかと言われた。
 一緒にと言っても当時今井さんは東映で「ひめゆりの塔」の撮影に入る所だったので、結局今井さんの監修というか指導で私が撮る事だったのである。
 私にとって生れて始めて撮る映画がこんな光栄のある立派な仕事だとあって、私は大喜びでやらせて頂くことを承諾した。

(中略)
 撮影は藤沢の丸木さんのアトリエから始まった。
 監督というものは何時もカメラの後にデンと構えて、撮影全体の流れを見ていなければならないのだが、駆出しの私は持前の長い助監督生活の習性が身にしみついていて、絶えずカメラ前のゴミを掃除したり小道具の位置を直したりして落着かなかった。見兼ねた今井さんはこっそり私を呼んで、「青ちゃん、出来るだけ腰をかけて居なさいよ、疲れますからね」と注意された。
 今井さんにはその後も何度もラッシュ・プリント(調子を見るために撮影したフィルムをすぐ現像し、何の手も加えないでそのままプリントしたフィルム)等も見て貰ったが、何時もニコニコしながら「良いじゃないですか、まあ思った通りやりなさい」と言われるだけで、私に注意された事は後にも先にもたったそれ一度だけであった。
 さて、いよいよ完成試写の日初号プリントを見終った今井さんは開口一番「これなら僕の名前なんか要らないんじゃないの」と言われた。
 私は内心「やっぱり…」と思った。自分の作品をこの上なく大切にする今井さんは僕が作った物等に自分の名を出すのは嫌なのに違いない。
 しかし、やがてそれは私のヒガミで、本当は不出来な場合、一切の責任を自分が取る心算だったとわかり、私は慙愧に耐えなかったが、それ以来私は今井さんを私の先生と公言して憚らなくなった。二流三流の監督と違って決して取巻きや派閥を作らない今井さんは、私が先生呼ばわりする事を迷惑だったり苦々しく思われるに違いないのだが、私はそれ以来今井さんを映画の先生だけでなく人生の師として仰ぐようになり今に到っている。

 (「映画原爆の図」との再会/青山通春/『丸木美術館ニュース』第17号/1985年7月発行)

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こうした事情のため、映画『原爆の図』が今井監督の生誕百年企画の上映にふさわしいかどうか、個人的には少々悩むところもあったのですが、銀座シネパトスのS支配人がぜひ、とおっしゃって下さったので、フィルムをお貸ししていたのです。

ところが『原爆の図』が終わり、『純愛物語』の上映がはじまってすぐに、とても驚いたことがありました。
冒頭のクレジットの背景に、原爆の図のデッサンと思われる被爆者の群像の絵画が使われていたのです。そして「監督 今井正」という文字の背景に映ったのは、原爆の図第5部《少年少女》を象徴する裸の姉妹のデッサンでした。
映画『原爆の図』が撮影されたのは1952年夏のこと。『純愛物語』は1957年の公開ですから、今井監督は原爆の放射能被害が物語に重要な意味を持つ『純愛物語』の制作に際して、ぜひ丸木夫妻の《原爆の図》を取り入れたいと思って下さったのかも知れません。
この発見については映画を観たあとでS支配人にも少しお話をしたのですが、映画『原爆の図』から『純愛物語』へと続く流れは、《原爆の図》の引用のつながりを示す意味でも、とても良かったのではないかと思いました。

1957年といえば、亀井文夫監督の映画『世界は恐怖する 死の灰の正体』が公開されたのも同じ年です。
劇映画と記録映画という違いはありますが、どちらの作品も原爆/核兵器の放射能被害に注目しているという点は共通しています。1954年3月に起きた第五福竜丸の被ばく事件の影響も大きいのでしょう。
そして、両方の作品に丸木夫妻の作品が引用されていることは、当時の社会における《原爆の図》の受容の一端が示されているようにも思われます。

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『純愛物語』は、ときに犯罪に手を染めながらも戦後社会を必死に生き抜こうとする孤児の少年少女のひたむきな姿を優しい視線で描いた感動作品。
心を入れ替えて真面目に生きようと誓いながら、“原爆病”で命を奪われていく中原さん演じる少女の運命に心を動かされる、原爆映画の名作です。
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