2011/12/25

【福岡への旅】第37回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

早朝の飛行機で福岡に飛んで、午後1時から九州大学西新プラザで開催された第37回原爆文学研究会・創立10周年記念ワークショップ「原爆文学研究この10年、これからの10年」に参加しました。

司会・コーディネーターは川口隆行さん(広島大学)。
研究会の前半部では、長野秀樹さん(長崎純心大学)が会の創設者である故・花田俊典さんの残した文章から原爆文学研究会発足の原点を振り返り、中野和典さん(福岡大学)は機関誌「原爆文学研究」の成果と課題をまとめ、これまで原爆文学と見なされてこなかった作品を取り上げ、他の分野へも積極的に問題領域を広げてきたことなどについて言及しました。

休憩をはさんだ後半部では、松永京子さん(神戸市外国語大学)が米国の保守地域で原爆について語ることの意味と可能性を考察し、李文茹さん(台湾淡江大学)は台湾という視点から原爆と原発について語りました。また、深津謙一郎さん(共立女子大学)は“「3.11」以降の「原爆・文学・研究」”と題し、原爆文学研究の今後にも示唆を与える発表を行いました。

   *   *   *

数年前から原爆文学研究会に参加するようになり、研究会の当初の目的や会の持つ意味をほとんど知らなかった私にとっては、それぞれの発表の内容と、それを踏まえた会場からの意見交換はとても興味深いものでした。
そもそも、なぜ原爆文学研究会で“文学”の分野ではない《原爆の図》の発表をさせて頂いているのか、実はあまりよくわかっていなかったのですが、この研究会は創立当時から、文学を専門とする研究者のための会ではなく、さまざまな立場の人に開かれ、多様な表現分野を横断的にとらえていく場であることを目ざしていたようです。

実際、文学をはじめとする原爆表現は、あまりに大きなテーマ性を抱えていることもあって、当初から特定の専門的な表現者だけが担っていたわけではなかったのです(その意味でも、原爆を題材にした多様なジャンルの視覚芸術を横断的にとらえようとした目黒区美術館の「原爆展」が実現しなかったことは、本当に痛恨というか、日本の文化史研究において大きな損失だったと思います)。

原爆のような大きな惨禍を主題にした表現は、ともすれば「戦争」や「平和」といった“大きな物語”に回収されてしまいがちです。
もちろんそれが一概に悪いというわけではないのですが、“大きな物語”は、世界を視るまなざしを固定化・硬直化してしまう方向に向かいやすいように思います。
しかし、その“大きな物語”を丹念に解きほぐしたとき、そのなかからすくい取れる“小さな物語”は、硬直化した世界観を揺さぶり、想像力を刺激して、現状を打ち破る新しい可能性を拓いていくような気がするのです。
文学や絵画などの芸術表現は、まさにその“小さな物語”として真価を発揮する性質のもののように思います。

考えてみれば、私が1950年代はじめに行われた《原爆の図》全国巡回展の調査に取り組んでいるのも、“大きな物語”として語られがちな《原爆の図》の巡回展を、そこに関わった多様な人びとの“小さな物語”として捉えなおすことで、これまで考えられていたものとは違う、新たな《原爆の図》の意味が浮き上がってくるのではないかと気づいたからでした。

原爆文学研究会は、私にとって、そうした考えを整理したり、新たな刺激や発見を与えてくれる“場”であり、何より、自分が孤独ではない、同じような問題意識を持って原爆表現に向き合っている人たちがいるのだと勇気づけられる貴重な“場”だったのです。

本当は、今回のワークショップでは、私はそのことを発言して研究会の皆さんに御礼を言いたかったはずなのに、ぼんやりしていて機会を逃してしまったことを、少しばかり後悔しています。

   *   *   *

研究会の終了後は、王貞治さんも贔屓にしているという中華料理店「悠好!朋友」で懇親会。
今回の研究会は、冬休みの家族旅行を兼ねて妻と子どもたちもいっしょに福岡にやってきていたので、懇親会から合流しました。
5年前に神戸YWCAで講演会を行った際にお世話になった神戸大学のTさんが今回から原爆文学研究会の会員に加わり、久しぶりに再会することができたのも、とても嬉しい驚きでした。
神戸のときも家族で訪れ、懇親会には家族みんなで参加していた(まだ娘Mは生まれていませんでしたが……)ので、Tさんに子どもたちの成長した姿を見て頂くことができて、良かったです。
5




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ