2011/12/18

Chim↑Pom展最終日トークショー  イベント

大きな反響を呼んだChim↑Pom展もいよいよ最終日。
朝から大勢の来館者が途絶えず、丸木美術館は大混雑。とても12月の光景とは思えません。
週の後半からツィッターなどで情報が広がり、予想をはるかに超える大盛況となりました。
なんとこの日の有料入館者は200人を超え、招待客を含めると来館者は250人以上。
8月6日のひろしま忌よりも多くの方が集まったのですから、丸木美術館の歴史に残る“事件”と言えるでしょう。

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そんな展示会場の熱気を横目に、午前中、Chim↑Pomのメンバーは午後から行われるトークショーの準備を黙々と進めていました。

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この日の大きなニュースは、渋谷警察署から《LEVEL7 feat.『明日の神話』》の“本画”(実際に渋谷駅の壁画に付け足された作品)が返却されてきたこと。
“本画”には、壁の突起物(《明日の神話》を保護するアクリル板を抑える止め具)をやり過ごすための丸い穴が右上部に空いているのですね。

卯城くんの話では、渋谷警察署で“本画”を見たときには、裏面に指紋を採取するための黒い粉が全面的に付着していたそうです。彼はその生々しさを残しておきたかったために「絶対にそのままの状態で返して下さい」とお願いしたそうなのですが、実際に返却された作品は、「芸術作品ですから」と理解を示してくれた警察署の方々によって丁寧に拭きとられていたとのこと。
裏面がすっかりきれいになってしまったのは残念ですが、貴重な証拠品として、この日のトークショーでは舞台の背景に展示することになりました。

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森林公園駅から丸木美術館までお客さんを運んでくれたのは、“未来美術家”遠藤一郎くんの運転する「未来へ号」でした。
遠藤一郎くんは、黄色い車体に大きく“未来へ”という文字が描かれた車で生活をしながら全国各地をまわり、「GO FOR FUTURE」のメッセージを発信し続けている若手アーティスト。
この日はなんと、駅と美術館の間を15往復もしてくれたそうです。

彼は震災後に東北地方をまわって様々な支援活動をしているのですが、この日、最初に森林公園駅に着いた途端、一人のタクシー運転手が駆け寄って来たとのこと。実は運転手さんは南三陸町の方で、かの地で「未来へ号」の活動を目撃しており、偶然この日に再会したため、ひとこと御礼が言いたくて駆け寄ってきたのだそうです。
そんな素晴らしい巡り合わせも体験しながら、「未来へ号」は多くの来館者を丸木美術館から“未来へ”と運び続けてくれたのでした。

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その頃美術館の事務所では、Chim↑Pomメンバーの稲岡くんと、事務局のNさん、評議員のOさんが「鳥団子汁」の準備に奮闘中。
来館者の方々に温まってもらうため、そしてChim↑Pomの展覧会費用の赤字を少しでも埋めるために、急きょ「鳥団子汁」を販売することになったのです。
具だくさんで身体の芯から温まる鳥団子汁、おかげさまでたいへん好評だったようです。

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そんな熱気のなかで午後2時からはじまったトークショー。
展示作品の関係で広いホールは使用できず、70〜80人ほどで満員になってしまう小さなロビーで開催したのですが、ご覧のとおり、会場は人が入りきれないほどの超満員。

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第1部では、高円寺を中心に「原発やめろ」デモを企画している古着屋“素人の乱”の山下陽光くんと、「東京電力からお越しの」(卯城くんによる紹介)水野俊紀くんが出演しました。
水野くんはChim↑Pomのメンバーなのですが、この展覧会の資金を稼ぐために福島第一原発で働いていたのです。

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写真は左から司会の卯城くん、山下陽光くん、水野俊紀くん。
等身大の感覚からデモの可能性を若者たちに広めていった山下くんが、高円寺の歴史をひも解きながら3.11以後のデモの動きを軽妙な話術で語れば、絶妙のタイミングで背後の《明日の神話》の“本画”が落下するというハプニングもあり、会場は笑いの渦に。

一方、水野くんの原発労働現場での体験談は、多くの人が「危険」で「過酷」な報告を期待する雰囲気のなかで、「現場も落ち着いていて雰囲気は普通だった」「宿の食事は美味しくて肌つやが良くなった」「危険な思いをしたことは一度もなかった」「作業員は休日にパチンコ屋アトムに通うので、アトムは儲かっていた」……と、思わず脱力してしまうような平凡な日常の報告が続き、こちらも緩やかな笑いを誘っていました。

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第2部では、写真左から、司会を阿部謙一さん(「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」編集者)が務め、東琢磨さん(ライター。音楽・文化批評/ヒロシマ平和映画祭実行委員会事務局長)、山下裕二さん(美術史家、美術評論家、明治学院大学教授)とChim↑Pomの卯城くんが出演。
同じ広島出身の東さんと山下さんの間で、“広島”と“平和”に対する複雑な葛藤について批判的な議論が行われました。

そうした議論を聞きながら、今さらながら気づいたのは、Chim↑Pomと丸木夫妻の共通点がもうひとつあったということです。
それは、どちらも広島という都市に受け入れられなかった存在である、という点です。
Chim↑Pomは広島市現代美術館で個展をする予定であったけれども、「ピカッ」騒動によって中止に追い込まれ、その結果、丸木美術館にたどり着きました。
丸木夫妻も広島に《原爆の図》の美術館を作りたいと願いながら、(俊の回想によれば)市議会で否決され、埼玉県に自力で美術館を建設することになったのです。

両者の作品は、制作された時代も表現手法もまったく異なるものでありながら、(作者がそれを望んでいたかどうかはともかく)広島が求める“平和”のイメージの根幹を揺さぶってしまう、という点では、案外つながる部分があるのかも知れません。
この問題については、もう少し時間をかけて考え続けていきたいと思います。

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ともあれ、丸木美術館にとって非常に実験的な試みであったChim↑Pom展は、想像以上の大きな実りをもたらしてくれました。
長年友の会会員として丸木美術館の展示を見続けているMさんも、目を潤ませながら「こんな凄い企画をやるなんて……」と会場で声をかけて下さいました。
わずか1週間の会期に、2度足を運んで下さった方もいらっしゃいます。
吹雪のなか新潟から朝一番に車で駆けつけて下さった方、沖縄から東京出張のついでに来て下さった方、関西からこの展覧会を見るためにわざわざ東京に出張の足をのばして下さった新聞記者の方もいらっしゃいました。
本当に、皆さまに深く感謝いたします。
Chim↑Pomのメンバーから聞いた「これほど自分たちの思うように発表の場を与えてくれた美術館は初めてだった」という言葉も、たいへん嬉しく響きました。

Chim↑Pomが巻き起こしてくれたこの丸木美術館の新しい可能性を、ぜひ“未来へ”とつなげていかなければならないと痛感しながら、若いアーティストたちといっしょに、打ち上げの会に参加しました。
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