2011/1/26

1952年9月「原爆の図埼玉大学展」  1950年代原爆の図展調査

午前中は埼玉県立浦和図書館で1952年夏の『埼玉新聞』を調査。
昨年10月、1952年から翌年にかけて「原爆展」の巡回展に関わったという元都立大生のお話の聞きとりを行った際、「たしか埼玉県にも巡回した……」という証言があったので、その裏付けとなる新聞記事を探しに行ったのです。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1494.html

1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効後は「原爆展」も新聞報道されることが多くなっていたので、地元紙には記事が出ているのではないか。そして、学生主導の展覧会であるならば、開催時期は夏休みかその前後の可能性が高いのではないか……と推測して、1952年夏の『埼玉新聞』を読みこんでいったのですが、7月、8月と記事はなく、あきらめかけたとき、ようやく!
1952年9月20日の紙面の片すみに、“せい惨、目をおゝう きのう浦和で「原爆展」開く”という記事を発見しました。

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「ノーモア・ヒロシマ」総合原爆展は埼大学生自治会、同教職員組合、アジア太平洋地域平和会議推進埼玉平和会議共催、本社後援のもとに昨十九日より浦和市小松原学園講堂に写真グラフ、デッサンなど多数出品開催された。午後三時までの入場者は約三千名、ニューヨーク美術団体よりの招きで画いた丸木位里、赤松俊子共同制作の原爆の図は畳六枚、幽霊、火、水の三部より成る大作で原爆展の圧巻、見学者はそのむごたらしさに目をおゝいながらも原爆の怖しさをまざまざとみせられノーモアヒロシマの印象を強くした。
 なおこの原爆展はきょう廿日も同小松原学園で、廿一日から廿三日の三日間は埼大講堂で開催される。


以前にお電話で連絡を頂いた別の方の証言にも「埼玉大学で《原爆の図》を観た」という話があったので、その証言とも符合します。
主催には埼大学生自治会が名を連ねていますが、占領下における京都大学、北海道大学の展覧会からはじまり、1952年4月の主権回復後に東京教育大学、都立大学、愛知大学など学生たちによって大きく広がっていった流れのひとつに「埼玉大学展」も位置づけられるのでしょう。

問題は、このとき展示された「幽霊、火、水の三部」が“オリジナル”だったのか、“模写”だったのか、という点です。
“オリジナル”の巡回展を記録したと思われる野々下徹氏のメモにはこの「埼玉大学展」が含まれていないこと、先の元都立大生の回想でも「埼玉では模写を展示した」と語られていたこと、この時期にはすでに第6部《原子野》まで完成していたにもかかわらず、3部作しか展示されなかったことから、“模写”の可能性は高いと思われます。
しかし、その野々下メモでは、1952年9月に開催されたのは「増上寺 5日間」「青山学院 4日間」のみとなっており、“オリジナル”は比較的日程に余裕があるようにも思われます。
(もっとも、野々下メモでは1952年8月とされていた板橋の展覧会が実際は9月開催だったことが先日の調査でわかったので、そのまま鵜呑みにはできませんが)

埼玉大学で行われた「原爆展」が、他の埼玉県内の都市にも巡回していたのか(元都立大生の証言では川越などでも開催されたとのこと)。
増上寺や青山学院で行われたという展覧会の日程が埼玉大学展と重複していないか。
これから調査すべきことの方向性も徐々に見えてきたような気がします。
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