2010/11/7

川崎市岡本太郎美術館「池田龍雄展」  他館企画など

美術館の休みをもらって、午後から川崎市岡本太郎美術館で開催中の「池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡」展(2011年1月11日まで)に行ってきました。

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1928年生まれの池田さんは、現在82歳。
15歳で海軍航空隊に入隊し、特攻隊員として出撃直前に敗戦を迎えました。
やがて画家を志し、岡本太郎や花田清輝らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加。
絵画におけるルポルタージュの可能性を探りながら、内灘闘争を主題にした《網元》をはじめ、炭鉱や基地、第五福竜丸事件などの社会問題を鋭い諷刺を込めて描き続けました。
その後もさまざまな芸術運動に関わりながら、今日にいたるまで精力的に制作を続けています。
丸木美術館で2005年にはじまった「今日の反戦展」(2007年から「今日の反核反戦展」)にも毎回出品して下さり、今年は急逝した針生館長に代わって呼びかけ文を記して下さいました。

今回の展覧会では、section i「池田龍雄の仕事」で、初期作品から現在取り組んでいる「場の位相」シリーズにいたるまでの多岐にわたる芸術作品を展示し、section ii「交流と越境」で、「戦後アヴァンギャルド」を中心に交流のあった芸術家の作品や周辺資料を紹介しています。
非常に見応えのある展覧会です。

   *   *   *

この日は午後2時から、「戦後アヴァンギャルド芸術とその時代」と題し、池田龍雄さんと鳥羽耕史さん(徳島大学准教授)の対談が行われました。

鳥羽さんは、安部公房を中心に敗戦後の文化運動や社会運動について丹念な調査を積み重ねている注目の若手研究者。以前から研究会などでたびたびお会いしています。
会場には、丸木美術館でも企画展でお世話になっている東京藝術大学のS教授や、世田谷美術館のN学芸員、東京都現代美術館のF学芸員、山梨県立美術館のO学芸員などの芸術関係者が数多く来られて、関心の高さがうかがえました。

池田さんは、その多彩な交友関係と驚くほど精確な記憶力で“戦後美術の生き字引”と紹介されることが多いのですが、今回の対談も、池田さんの画家としての歩みを振り返りつつ、1950年代を中心とする芸術と政治の「アヴァンギャルド」について掘り下げていく、という内容になりました。
当日配布された資料から、池田さんの「戦後十年 芸術のアヴァンギャルド」と題する文章の一部を抜粋します。

 およそ芸術と政治との関係は甚だ難しく厄介である。政治は芸術を抱き込み利用しようとするが、自由な表現を旨とする芸術は、硬い政治の力学とは容易に相容れない。故に、芸術のアヴァンギャルドと政治のアヴァンギャルドの一致というような命題の実現は極めて困難だ。20世紀における最初の社会主義革命=ロシア革命の際に一応それは成立したかに見えたが、戦後の日本で同様なことを望むべくもなかった。
 それでもその時期、共産党に入っていた野間宏、安部公房は、その中でも〈主流派〉に所属し、党のいわゆる「人民大衆」の方に目を向けていた。「血のメーデー」事件の起きた52年8月刊の雑誌『理論』に、安部は「新しいリアリズムのために」と題してルポルタージュの重要性を説いているが、わたしもこの論理に動かされて〈文学におけるルポルタージュの方法を絵画に適用できないものか〉ということを考え始めた。53年春に結成された「青年美術家連合〈青美連〉」(これは朝鮮戦争による危機に対応して立ち上げられた美術家の全国組織である)の機関誌2号にその問題を提起し、そして、各地で激しく起こっていた基地反対闘争の中でその実践を試みたのである。まずは雑誌「人民文学」の仕事として立川に行き、夏には米軍に浜を奪われた石川県の内灘に行った。その後は、石炭の正体を見定めようと、はるばる長崎県の炭鉱に行って切羽の先までもぐったり、その石炭を大量に消費する八幡製鉄を訪ねたり、川崎の火力発電所を案内してもらったりしたのである。それらの努力は要するに、絵画に於いても新しいリアリズム、即ち戦前にあった自然主義リアリズムでもシュルレアリスムでも、はたまたソ連で生まれた社会主義リアリズムでもない、日本の現在・現実に即したリアリズムは如何なるものであるか、という、その探究心に発していたと言えるだろう。だが、その探究は甚だ困難だった。果して成果は上がったのかどうか、いま振り返ってみても何とも言えない。


やがてヨーロッパから「アンフォルメル(不定形の意、抽象表現主義の一傾向)」という新風が訪れると、池田さんは「わが国の現実に根ざした必然性に基づくものではなく、外国から吹き付けた風に煽られての、いわばファッションの流行に近い変化だから、その現象をわたしは内心〈アンフォルモドキ〉と名付けて冷やかに眺めていた」にもかかわらず、その後の日本美術の動向を左右するほどの大きな影響を与えることになりました。
50年代、芸術(美術)のアヴァンギャルドは―その一部分が―政治のアヴァンギャルドに一時急接近したものの、遂に交わることなく、ひたすら芸術の自律、芸術プロパーの新しさを求めて目まぐるしく変わっていったのである。」(太字はいずれも前掲文より抜粋)と、池田さんは当時の動向を評しています。

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>芸術のアヴァンギャルドと政治のアヴァンギャルドの一致というような命題の実現は極めて困難だ
という一文は、実体験に基づく池田さんならではの重みのある言葉で、《原爆の図》という主題性の強い作品に取り組み続けた丸木夫妻にとっても、おそらくは非常に重要な問題であったことでしょう。個人的にはたいへん興味深く、共感を持って聞きました。

歴史の主流から取り残され、長らく忘却されつつあった50年代の活動ですが、しかし、現在、この「記録」という言葉が独特の熱を帯びて多彩な展開を見せていた時代の動向を、再評価し、読み解いていこうという動きも見えはじめています。

池田さんと対談を行った鳥羽さんも、今年12月中旬に河出書房新社より『1950年代 「記録」の時代』を刊行される予定とのこと。
丸木夫妻の活動とも密接な関わりを持つこの時代のルポルタージュ絵画やサークル運動、記録映画などのエネルギッシュな動向にあらためて注目し、これらの活動がどのような意味を持っていたのか、考え続けていきたいと思っています。
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