2010/3/13

貴司山治関係資料  作品・資料

この日は、プロレタリア文学者として知られる貴司山治(きし・やまじ、1899−1973)のご子息I氏が来館されました。
I氏は、貴司山治の研究者でもあり、WEB資料館を運営されています。
http://www1.parkcity.ne.jp/k-ito/

貴司山治については、2007年10月27日から11月18日まで開催された鳴門市立図書館・市制60周年記念展示「郷土の作家・貴司山治」で、1946年4月18日から7月5日に貴司山治が『読売報知新聞』に連載した小説「愛の歌」に赤松俊子が挿絵を描いていたことを知りました。

当時、貴司山治は、京都・丹波山中の胡麻郷村に開拓農民となって入植しており、俊さんはその山治の六畳一間の小さな家を訪ねているそうです。
そのときに俊さんが描いたデッサンも現存しています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(徳島県立文学書道館蔵)

この日、I氏が来館されたのは、1947年1月に民衆書房より刊行された小林多喜二の『党生活者』の装幀が赤松俊子であるかどうかを確認するためでした。

クリックすると元のサイズで表示します

これがその『党生活者』の表紙です。
たしかに俊さんの絵のようにも見えますが、絵には署名がなく、装幀を担当した人の名前が書籍のどこにも記されていません。
I氏の説明では、この書籍は復刻版で、中身は以前に出版されたものをそのまま使用して、表紙の装幀だけを新しくして発行いるとのこと。そうした事情から、装幀者の名前が抜け落ちているのかもしれません。
復刻版の刊行には貴司山治が関わっているらしく、この当時、貴司山治の周辺で装幀の仕事を頼めそうな画家といえば、赤松俊子の名前があげられることから、Iさんはその可能性が高いとみているようです。
小林多喜二といえば、俊さんは1947年6月に新興出版社から刊行された『蟹工船・不在地主』の装幀・挿絵を手がけています。
『党生活者』とは発行時期も近く、俊さんが手がけた可能性は充分にあると思いましたが、確たる証拠がなく、断定はできませんでした。
今後も折を見て調査を進めていきたいと思います。
3




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ