2009/7/25

アトミックサンシャイン展ギャラリートーク  館外展・関連企画

夕方、事務局員のNさんといっしょに茅場町にあるGallery MAKIへ行き、“「アトミックサンシャイン」沖縄展の検閲に抗議する美術展”のギャラリートークを聞きました。
この企画は、2009年4月沖縄県立美術館で開催された「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄―日本国平和憲法第9条下における戦後美術」展で、大浦信行さんの《遠近を抱えて》全14点が展示拒否された事件に抗議するために開催されたものです。
過去に丸木美術館の企画に出品して下さった美術家の方々も多数参加されています。
http://www.gallery-maki.com/

この日のギャラリートークは、『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』の著者で戦後日本美術史研究者の小沢節子さんと、富山大学の小倉利丸さんによって行われました。
事前に小沢さんから丸木夫妻と沖縄に関する資料についての質問があったこともあり、《沖縄戦の図》についての新しい論議が起こるのだろうと期待していたのですが、意外にも会場の質問は《原爆の図》に集中しました。
主な質問は、残酷な描写に立ち止まってしまう《原爆の図》よりピカソの《ゲルニカ》のようなモダニズム的な表現の方が普遍性を感じさせるのではないかという内容や、被爆市民の絵画との比較についてなど。
8月6日に丸木美術館で講演をして下さる予定の加納実紀代さんも会場に見えられて、「自分は被爆者だが、1953年に《原爆の図》を初めて見たとき、とても違和感があった。自分たちが素材にされている、という気持ちがした。大道あやさんが《原爆の図》に違和感を覚え、のちに被爆市民の絵画を見て共感したというが、自分もその通りだと思った」と、聞き手がドキリとするような発言をされていました。

今回のトークのなかで小沢さんは、前田憲二監督の映画『命どぅ宝』の映像を流しながら、沖縄戦体験者から丁寧に話を聞く丸木夫妻について、「敬虔」「謙虚」という言葉を印象的に使われていました。おそらくは、昨年秋に沖縄を訪れ、沖縄の人びとに案内されて戦跡を巡った自身の体験(私もごいっしょしましたが)を重ねあわせていたのではないかと思います。
丸木夫妻は、沖縄戦に限らず、広島の原爆を描く際も、たくさんの直接体験者から話を聞き、その記憶を作品のなかに注ぎ込んでいます。おそらくは、そのときにも「敬虔」「謙虚」に耳を傾けたことでしょう。
本当は、どれだけ想像力を広げて《原爆の図》を描いても、直接体験者の“経験の壁”を越えられないことは、誰よりも丸木夫妻自身が痛感していたのではないか。だからこそ、二人の話を聞く姿は、「敬虔」「謙虚」に映るのではないか。
トークを聞きながら、あらためてそんなことを考えました。

距離があるから描けることもあれば、距離があるから共有できない思いもある。
原爆を描くことが、良かったのかどうか。その葛藤を胸に抱えながら、それでも体験者の声に耳を傾け、表現し続けた丸木夫妻の作品が、周囲の人からどのように評価されようとも、二人にとってはそれほど重要なことでなかったのかも知れません。
小倉さんは「《原爆の図》が、モダニズム的な美術史観に評価されず、社会主義リアリズムの側からも『現実をそのまま描いていない』と否定されたことは、結果的には良かったのかも知れない」とおっしゃっていましたが、簡単にひとつの評価で読み解くことができず、いまも賛否の渦中にあることは、逆説的に二人の仕事の奥の深さ、意味の大きさをあらわしているのでしょう。

トークの後は小沢さんら数人と近くのバーに寄って歓談。久しぶりに真夜中近くに帰宅しました。
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