2009/2/26

足尾鉱毒の図展  企画展

日曜日は理事会、火曜日はN事務局長といっしょにホタルの里の環境整備、水曜日はY子さんといっしょに群馬県太田市へ《足尾鉱毒の図》集荷と、このところ忙しい日が続きました。
《足尾鉱毒の図》は、太田市役所の所蔵する全6部作を一挙に展示する予定でしたが、太田市の意向により、前半と後半に分けて途中で2部を展示替えすることになりました。
展示スケジュールは以下の通りです。

【全期間展示 3/7-6/6】
足尾鉱毒の図第2部《押し出し》 1987年
足尾鉱毒の図《谷中村野焼き》 1989年
足尾鉱毒の図《大逆事件》 1989年
【前期展示 3/7-4/19】
足尾鉱毒の図第3部《渡良瀬の洪水》 1988年
足尾鉱毒の図第5部《谷中村強制破壊》 1992年
【後期展示 4/21-6/6】
足尾鉱毒の図第1部《足尾銅山》 1987年
足尾鉱毒の図第4部《直訴と女押し出し》 1988年


   *   *   *

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第1部《足尾銅山》(軸装)には、画面右側に足尾銅山の製錬所が描かれ、右から左に渡良瀬川が流れています。画面中央には田中正造の顔が浮かび上がり、その周囲には煙害に苦しむ松木村の住人でしょうか、赤ん坊に乳を与える農婦の姿などが描かれています。

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第2部《押し出し》(軸装)には、足尾銅山鉱業停止を訴える「押し出し」(請願デモ)の様子が描かれています。

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第3部《渡良瀬の洪水》(軸装)は、1890年8月の渡良瀬川の大洪水を描いたものです。銅山の開発のために足尾の山の木々は乱伐され、亜硫酸ガスは残った木々を枯らしました。その結果大洪水が起こり、氾濫水に大量の鉱毒が含まれていたため、周辺農村の農業は壊滅したのです。

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第4部《直訴と女押し出し》(軸装)には、「押し出し」の列に馬に乗ったりサーベルを抜いた警官隊が乱入している場面が大きく描かれ、画面右上には直訴をする田中正造の姿も描かれています。いわゆる「足尾鉱毒事件」を連想する、もっとも迫力のある作品です。

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第5部《谷中村強制破壊》は、鉱毒処理のために遊水池になることが決まった谷中村の強制破壊に反対する田中正造と残留民の姿が描かれています。実はこの作品だけがいまだに表装されていません。

番号のついた「足尾鉱毒の図」は第5部が最後ですが、番外として屏風仕立ての《谷中村野やき》という作品があります。遊水池になった旧谷中村のヨシ焼きの様子を描いたものです。赤い炎に包まれた画面のなかに、ヘビやカエル、昆虫、ねずみたちの姿が描かれています。

以上6点が太田市からお借りしてきた作品です。
「足尾鉱毒の図」にはもう1点、個人蔵の《大逆事件》という作品があります。
なぜ「足尾鉱毒の図」に大逆事件なのか。丸木位里は『丸木美術館ニュース』第31号に以下のような文章を残しています。

足尾銅山鉱毒事件を今までに四点描きました。五作目の谷中村の野やきを描いている時、内山愚童の法事の会に曽根さんに連れられてお参りしまして、それで思いついたわけでもありませんが、前々から何とか描かねばならぬと思っていた幸徳秋水の大逆事件を、この中へ入ってもらおうと云う気になって一気に十二人の処刑を描くことにしました。(中略)とにかくこの作品については、どういうふうに見てもらえるか全然わかりませんが、この幸徳秋水の大逆事件だけは今日の問題としてもう一遍も二遍も登場してもらって、皆さんと考えてゆこうではありませんか。

丸木美術館にとっても13年ぶりとなる「足尾鉱毒の図」公開。
ふだんは所蔵先の太田市でも公開されていないので、丸木夫妻の最晩年の共同制作を見るたいへん貴重な機会になります。この機会に、ぜひ丸木美術館に足をお運び下さい。
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