2009/2/13
1952年2月釧路原爆展 1950年代原爆の図展調査
昨日、北海道釧路市にお住まいのMさんから、1952年2月24日から3日間釧路市立労働会館にて開催された「原爆美術展」に関する新聞記事が届きました。
Mさんは釧路展を鑑賞した記憶があり、現在、その当時のことを記録に残すために京都の原爆展からはじまった全国巡回の全体像について調査中とのこと。数日前に丸木美術館に問い合わせのお電話を頂いたのです。
1951年暮れに北海道を巡回した原爆展については、昨年4月の日誌に報告しています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/949.html
しかし、翌52年になっても原爆展が釧路で開催されていたことは、今回のMさんの証言で初めて知りました。
今回お送り頂いた新聞記事は2点。いずれも小さな記事ですが、貴重なものです。
ひとつは1952年2月20日付『北海道新聞』に掲載された「原爆絵画展」の記事。以下、全文書き写します。
=====
原爆美術展
日本平和推進国民会議釧路地区主催、釧路市、同国支庁、同教委釧路国事務局など後援、原爆美術展は二十四日から二十六日まで釧路市労働会館で開かれる。入場料四円九十九銭。
=====
もうひとつは1952年2月23日付『東北海道新聞』に掲載された広告。
こちらは原爆の図第5部《少年少女》の部分図版も掲載されています。

=====
原爆美術展
原爆出展
◎原爆の圖 三部
◎原子爐模型
◎ピカドン及デツサン
◎廣島に捧げるの圖
◎スチール
原爆製造工程について
原爆の建築物に与える影響
原子力の平和的利用
原爆の人体に与える影響
原爆の植物に与える影響
原爆の国際憲章について
原爆に関する文芸作品
札幌に原爆が落ちたら
會期 二月二四・二五・二六日
會場 釧路市立労働會館
入場料 四圓九十九銭
主催 日本平和推進國民會議釧路地區
後援 東北海道新聞社
=====
展示された「スチール」は、おそらく京都展で京都大学の学生が制作したものをもとに、北大の学生が札幌展の際に制作したものでしょう。
気になるのは、「原爆の圖 三部」の展示内容。通常、三部が展示される場合は、第1部《幽霊》、第2部《火》、第3部《水》のセットになるだろうと思われるのですが、新聞に掲載されているのは第5部の《少年少女》。いったい、どの作品が釧路で展示されたのか、そして本物か、あるいは複製だったかもよくわかりません。
Mさんの記憶では、丸木夫妻は来場せず、作品のみの展示だったとのことです。
1950年代前半には、こうした小規模の原爆展が、全国各地で無数に開催されていたようです。そして、そのほとんどは記録に残されていません。今回のように、展覧会を観たという人の記憶と、それを裏付ける地方紙の小さな記事のひとつひとつが、その存在の貴重な証になるのです。
さまざまな人によって支えられた《原爆の図》巡回展。こうした小さな発見の積み重ねから、その全体像が少しずつ見えてくるのも興味深いです。
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Mさんは釧路展を鑑賞した記憶があり、現在、その当時のことを記録に残すために京都の原爆展からはじまった全国巡回の全体像について調査中とのこと。数日前に丸木美術館に問い合わせのお電話を頂いたのです。
1951年暮れに北海道を巡回した原爆展については、昨年4月の日誌に報告しています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/949.html
しかし、翌52年になっても原爆展が釧路で開催されていたことは、今回のMさんの証言で初めて知りました。
今回お送り頂いた新聞記事は2点。いずれも小さな記事ですが、貴重なものです。
ひとつは1952年2月20日付『北海道新聞』に掲載された「原爆絵画展」の記事。以下、全文書き写します。
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原爆美術展
日本平和推進国民会議釧路地区主催、釧路市、同国支庁、同教委釧路国事務局など後援、原爆美術展は二十四日から二十六日まで釧路市労働会館で開かれる。入場料四円九十九銭。
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もうひとつは1952年2月23日付『東北海道新聞』に掲載された広告。
こちらは原爆の図第5部《少年少女》の部分図版も掲載されています。

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原爆美術展
原爆出展
◎原爆の圖 三部
◎原子爐模型
◎ピカドン及デツサン
◎廣島に捧げるの圖
◎スチール
原爆製造工程について
原爆の建築物に与える影響
原子力の平和的利用
原爆の人体に与える影響
原爆の植物に与える影響
原爆の国際憲章について
原爆に関する文芸作品
札幌に原爆が落ちたら
會期 二月二四・二五・二六日
會場 釧路市立労働會館
入場料 四圓九十九銭
主催 日本平和推進國民會議釧路地區
後援 東北海道新聞社
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展示された「スチール」は、おそらく京都展で京都大学の学生が制作したものをもとに、北大の学生が札幌展の際に制作したものでしょう。
気になるのは、「原爆の圖 三部」の展示内容。通常、三部が展示される場合は、第1部《幽霊》、第2部《火》、第3部《水》のセットになるだろうと思われるのですが、新聞に掲載されているのは第5部の《少年少女》。いったい、どの作品が釧路で展示されたのか、そして本物か、あるいは複製だったかもよくわかりません。
Mさんの記憶では、丸木夫妻は来場せず、作品のみの展示だったとのことです。
1950年代前半には、こうした小規模の原爆展が、全国各地で無数に開催されていたようです。そして、そのほとんどは記録に残されていません。今回のように、展覧会を観たという人の記憶と、それを裏付ける地方紙の小さな記事のひとつひとつが、その存在の貴重な証になるのです。
さまざまな人によって支えられた《原爆の図》巡回展。こうした小さな発見の積み重ねから、その全体像が少しずつ見えてくるのも興味深いです。
