2008/12/25

『早稲田大学新聞』調査  作品・資料

午前中は早稲田大學新聞会に行き、戦後期の『早稲田大學新聞』を閲覧しました。
同紙に赤松俊子(丸木俊)が絵や文章を寄せていたことは丸木美術館に現存している新聞の切り抜きで知っていたのですが、今回は記事掲載日の確認や未見資料の発掘などの調査を行いました。
今回確認できたのは以下の記事です。

1947年10月11日「白骨の超現実派」赤松俊子
1950年1月11日「ハッパイ」絵と文・赤松俊子
1953年10月7日「二つの国際平和祭典に参加して 結集した世界の友情 青年よ戦場へ行くな」赤松俊子
1955年1月19日「若ものたち」絵・赤松俊子
1955年9月6日「原水爆と芸術―それは人間をとり戻す運動―」(上)針生一郎

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なかでも面白かったのは、1950年1月11日に掲載された「ハッパイ」という記事でした。

 「ミス・ハッパイ」
 これは若いころのわたしの別名。
 クラス唯一の苦学生で、栄養不良、とうとう脚気になつたがそれでも先輩の絵かきの奥さんには
 「さあさあミス・ハッパイ」
 といつて御馳走してくれる余裕又あつた。
 一週間も郷里へ帰つてくれば何はなくとも大食して体はかいふくした。……


俊の姪のH子さんから、晩年たびたび「若い頃は飯を八杯食べるからミス・ハッパイというあだ名だった」と俊自身が懐かしげに語っていたという話は聞いていましたが、この記事はその微笑ましいエピソードを記した珍しいものです。

   *   *   *

数日前、安部公房や『人民文学』などの研究で知られる徳島大学のTさんに、美術批評家のヨシダ・ヨシエさんが初めて著した《原爆の図》の評論について問い合わせていたのですが、帰宅してメールを確認すると、『原爆の図について 図展鑑賞のために』という1953年3月14日に民主々義科学者協会鹿児島支部から刊行されたヨシダさんの著作が、神奈川近代文学館に所蔵されているとの返事が届いていました。
今度は年明けに、神奈川近代文学館にも調査に行こうと思っています。
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