Y: YUの板に乗るようになったのは?
関野さん: YUはですねぇ。
Y: まぁ結局、会ってたりしてたからぁ、こぉ〜、あれだったの?
関野さん: そぉ、そぉ。そぉいうのもあってぇ、で、俺MOSSクビんなってぇ、えーっと、しばらく、その頃だから、MOSSクビになって、最後に乗ってたのが、日本でそのYUの板だったんすよ。
Y: うん。
関野さん: で、YUの板で、俺、プロトライアルクラス受かって、多分俺、その板も一緒に持って、オーストラリア行ったと思うんすけどぉ。でも、オーストラリア行った時には、もぉ別に、わざわざ日本からボード送ってもらうとか、そぉいうのが、考えられなかったから、俺達は。
Y: うん。
関野さん: まだ、18歳ですからぁ。なんで、いいや、向こうで買って、ある板買えば、みたいな感じで。
Y: うん。
関野さん: で、向こうの板、だからぁ〜、作ってもらったりだとか、最後、アランバーンとか。あのぉ、色んなシェーパーいますから。
Y: バーニング・スピアーズだよね?
関野さん: そぉっすね。なんでぇ、あのぉ、最後はそぉいう人のに乗ってたけどぉ、最初は、向こうのローカルシェーパーの、人?の、たまに作って乗ったりとかぁ、中古の板買ったりとかぁ〜、適当でしたね。
Y: で帰って来て、なんか話がまとまって、YUの板乗るようになったんだ?
関野さん: そぉすね〜。オーストラリアから帰って来てたらもぉ、YU乗ってましたね〜。帰ってきたら、YUから話あってぇ、「ウチの板、乗んねぇか〜?」って言われてぇ、「じゃぁ、乗ります」っつってぇ。
Y: でもあれだね、今から思うと、植田さんも、良かったよね。
関野さん: うーん、そぉじゃないすか。
Y: 良かったと思うよ。あの頃っていうのはぁ、80年代っていうのは、板とぉ、ウェットのイメージとか、色んなものがこぉ、平行してたもんね。
関野さん: うん。
Y: で、いわゆる、誰が乗ってて何着てて、要は、ウェットスーツはユニフォームだからぁ、そこの絡みでぇ、やっぱり、いい悪いが当然でてたもん。あの時代って、色んなシェーパーさんがいたしぃ、だけど、ま、今更言ったらいかんかも知れんけど、消えてく人も、結果としているわけじゃん。ね、植田さんなんかは、ここと、ま、タッグを組んだ事によってぇ、脚光を、すごい浴びたと思うなぁ〜。僕はそぉ思うよ。
関野さん: まぁ、あの頃は兄貴がジェリーロペス乗って、俺がYU乗って、みたいな感じで。
Y: で、何年乗ったんだっけ?YU、4、5年?
関野さん: えーっとYUはぁ〜、そぉっすねぇ〜、4、5年乗りましたね。
Y: だって、その後、ディックブリューワーの板、乗っとったもん。
関野さん: それはですねぇ、さらに3年経った後に乗るんですよ。その、YUやめた時に、なんでやめたかって言うとぉ、もぉ一回その、二十四歳の時に、「ワールドツアーに俺は戻るからぁ、この先三年間は、ワールドツアー、ビシッとやってくんでぇ、外人のシェープのボードにも乗りたかったんですよ。
Y: なるほどねぇ〜。
関野さん: あの頃はぁ、まだぁ、YUもぉ、あのぉ〜、外人のシェイパーとか、誰も取り入れてなかったんすよ。
Y: うん。
関野さん: みんな、そぉいうのはダメでぇ〜。あのぉ〜、ブリューワーにしても、どこにしても。でもぉ、俺はそれをだからぁ、嫌だったから、嫌だったからっていうんじゃないすけど、まぁその、金をもらうかぁ、植田さんの乗るのか、金をもらうかやめるか、どっちかにしたいって言ったんですよ。
Y: うん。
関野さん: でもぉ、あの〜、その頃から、なんて言うんだろ、他のプロの、海外の人達はぁ、色んなボードを使ってたんですよね。ま、たとえば、一つの、スポンサーがあったとしてもぉ、色んなロゴのシェーパーの、バンバン作って、みたいな。
Y: うん、うん。やってた、やってた。
関野さん: また、そぉいうスタイルが、また、流行り始めてたっていうか。ちょうど始まった頃だったんですよね。なんでぇ、ワールドツアーに戻るからぁ、もっかいちょっと、他の乗るんで、やめます、みたいな。感じでやめてぇ、あのぉ〜、自分の好きな板を乗ってこー、みたいな感じでぇ。
Y: うん。
関野さん: で、俺はだから、スパイダーとかぁ、あとラスティ―とかもそぉだしぃ、ま、グレッグウェーバーとか、アルメリックもそぉだけど、色んな、世界中のいいシェーパーを、知り合ったり、まぁ紹介してもらったりとかって。でまぁ、みんな、行く前にオーダーしてぇ、でそれをピックアップして、みたいな感じで、ワールドツアーを、みんなと同じように回り始めるんですよ。
Y: それは何ぃ、こっちで払って、持って行くの?
関野さん: あ、もちろんですよ。
Y: まぁ、買うっていうか。
関野さん: 買うんですよ、サーフボード。
Y: なるほどね。
関野さん: で、それでもって、ずっと2年ぐらい、2〜3年やっててぇ、うーんとぉ、ブリューワーからぁ、あのぉ〜、「ライダーになんねぇか?」って言われて。RASHはずっと、そのまま使ってたんでぇ。だから、「なんないか」って言われてぇ、ま、色んな条件、でぇ。
Y: あれは何、長沼さんが削った板なの?本人なの?ディックブリューワーなの?
関野さん: いや、長沼さんが削った板は、一回か二回しか乗んなくてぇ〜。
Y: シモジュウさんの板?
関野さん: シモジュウさんのが、一番多くて、カカイさんとオガマさんのも乗ってたしぃ。
Y: はいはい。
関野さん: あのぉ〜、色んな人のを使ってましたよ。
Y: なるほど。
関野さん: だけどぉ、その契約の中にはぁ、誰の板に乗ってもいいって契約にしてもらったんすよ。
Y: あぁ〜。
関野さん: ロゴさえ入っていれば。
Y: はいはい。
関野さん: だからぁ〜、グレッグウェーバーの板も多かったし、俺は。すごい合ってたから。そぉすね〜、チャンネルアイランドの時もあったしぃ〜。色んな板、乗ってましたね。
Y: ふぅ〜ん。
関野さん: アルメリックの板とか。だから、部原の時とかもぉ、ブリューワーのロゴが入ってるけどもぉ、アルメリックの板だったりとかぁ。あのぉ〜、全然、しかとでやってましたね。
Y: やってた、やってた、みんな。ステッカー貼ったりね。
関野さん: えぇ〜、なんで、そぉいう風に誰かがしていかないとぉ、あのぉ〜、道具に対する、こぉ、選手のモチベーションっていうかぁ、うーん、まぁ、大切なものなんでぇ。
Y: なんていうの、あの、縛られちゃうからね。
関野さん: そぉなんですよねー。
Y: その人の、それじゃなけなアカンっていうとぉ、結果的に、選手側からすればぁ、まぁ、幅が無くなるもんね。
関野さん: うーん、ですねぇ。だから、まぁ、あの頃はだから、日本のサーフィンの、連盟っていうのかまぁ、あの辺の、小川さんとかぁ、ドロップアウトがぁ、まぁ、阿部さんしかいなかった時代かなぁ〜。たとえばJCが入ったりだとか。その前は、リンデンとか、サイモンアンダーソンとか?色んな奴、出てきたじゃないですかぁ。
Y: うん。YUとかも、外人シェーパーとタイアップしてた?リンデンとか、サイモンとか。
関野さん: であの頃、何が起きてたかっていうと、JPSAでもぉ、マシュー・ピッツとか、他のなんか、今までの、絶対日本に一年以上いて、トライアル受けなきゃダメよー、とか。
Y: うんうん。
関野さん: で色んな、日系人はいいのかとかぁ〜、奥さんは日本人だったら入ってもいいのかとか、そぉいう、外人が日本に入り始めてた頃なんすよね、丁度。なんでみんな、そぉいったあの、俺がやってた頃は、もぉ「それしかダメ」みたいな風だったけど、俺がやめたら、丁度、移り変わりの時代で。
Y: あぁ〜、80年代後半頃だぁ〜。
関野さん: みんなすぐ、そっちに飛びついて、今度、外人、外人、みたいになっちゃったんですよ。
Y: なった、なった。
関野さん: はーい。。。だからぁ、まぁ、なかなか難しいっていうか、うーん、変わっていきましたよね。まぁもっとだから、オープンになってきたし、逆に、舶来物のブランドに、もぉおされちゃってる感じですね、日本は。
Y: うーん、そぉだね。ちょっと、話変わるけど。JPSAでぇ、いわゆる、まぁ、あの時代、四天王って呼ばれる、見てた側からすると、言われてた一人なんだけど。いわゆる、久我タカオがいて、粕谷修二がいて、福田義昭がいて、関野聡だったんだけどぉ。言っていいのか悪いのか分からんけど、無冠の帝王だったんだわ。
関野さん: あ、俺?
Y: そぉ、先生。僕が知ってる限りでもぉ、優勝する試合はあるんだけどぉ、えーとねぇ、ランキングだと、多分、トップにいるのは、90年か91年ぐらいー、だけじゃなかったっけ?
関野さん: そぉっすねー。
Y: それまでは、久我タカオとかがぁ、五連勝とか、粕谷修二とか。
関野さん: そぉっすね。
Y: でそれはやっぱりぃ、取ってケリをつけよう、とかって思ってんの?それとも、まぁ、そんなことも。
関野さん: ケリをつけようっていうかぁ〜。
Y: いや、なんでかって言うとぉ。
関野さん: うん。
Y: そこの90年代に入った時点で、今度は、サーフィン界も、そのあと誰だぁ、福地とかねぇ、えーっと、また違う人達が、下からこぉ、押しあがってくる時代の、80年代のビッグスターなんだけど、ここは。90年代は、こぉ、なんていうのかな、干支が変わるように、なってったからぁ〜、そこで、一つだったの?
関野さん: 一つだったって言うかぁ〜。。。なんすかねぇ、俺的にはその、もちろん、そのJPSAっていうタイトルもぉ、一つ必要なものだなっていうのは、もちろんありましたけど、でもぉ〜、なんすかねぇ〜、常にその、シリーズの中でぇ、優勝できない大会とかも、あるけど、優勝する大会も、やっぱり毎年あったし。
Y: あった、あった。
関野さん: 大体俺、ランキングが、その最初、6番か10番ぐらいでぇ〜、その次多分、3番かなんか。その次、2番かなんか、その次また3番、2番でとかっていう感じだったんですよ。だからもぉ〜、1、2、3番は、必ずその四天王の奴らがとっててぇ、大会でもぉ、もぉ、必ず誰かが勝つ!みたいな、順番に。
Y: うん、そうだったね。
関野さん: っていう感じだったんでぇ、でも、タカオだけがぁ、まぁその、ポイント集めてぇ、グランドチャンピオン、みたいな感じの時代だったからぁ。まぁ、そりゃーそれで、うーん、修二さんにしても、ヨシアキさんにしても、同じような思い?
Y: うん。
関野さん: だったと思うしぃ〜。だからこそ、俺も、ワールドツアーに戻ってぇ、もい一辺修行のし直しだな〜っていうが、あったしぃ〜。なんでぇ、そこで必ずなんか、取んなきゃヤバイとかって意識は、俺自体は無かったですね、別に。
Y: なるほどね。
関野さん: 常にベストを尽くしてるっていうか。
Y: グラチャンを取るまではー、とかっていうのは。
関野さん: あぁ、全然、意識無かったっすねぇ〜。もぉ〜、やれるところをやる、っていうかぁ。
Y: うーん。
関野さん: 常に、だから、まぁ、サーフィンの向上を、していくってことだけですよねぇ、多分。試合に出て、勝って、っていうか。逆にだって、海外の試合でぇ〜、あのぉ〜、まぁ、パイプラインでもそぉですけど、まぁ、タカオも良かったですけどぉ。ま、あん時から時代が流れてぇ、色んな海外の大会でぇ、あの、成績を残してきてるかっていうことにもなるだろうしぃ。いかにだから、色んな世界で、成績を残すかっていうところにぃ、やっぱみんな、集中してると思うんすよね。
Y: うん。熱かったからね、プロ・サーファー!
関野さん: 特に今はみんな、そぉだと思いますけどね。あのぉ〜、上の人間達っていうか、ワールドツアーでやる人達っていうのはぁ、もぉそこに、いってると思いますよ。マーにしてもぉ。
Y: 大野マーね。
関野さん: うーん、もぉ、日本で勝つのはぁ〜、もぉ何回も勝ってきてるしぃ、もっと上のレベルで、自分を残していかなきゃ仕方ない、みたいな。
Y: なるほどね〜。でも、やっぱハシリだったね。いやでも、何でもそうだけど、誰かが最初にこぉ、唄のセリフじゃないけど、なんかあって、それがあるから、次の人達も、それをーっていう、ような人じゃないかなぁ〜。
関野さん: 俺の先輩だとぉ、手塚さんとかぁ。
Y: うん、バーズが、おしい人だね。
関野さん: まぁやっぱ、ヒロミチさんとかが、世界で戦っててぇ〜。手塚さん、ワールドツアー回ってるーとかって言ってたけど、あれ、ホントに回ってんのかな〜?って感じ、ありましたけどぉ、まぁ、出てましたよね。海外出てって、ましたよね。
Y: であとあれだよね、マスメディアもぉ、あのぉ、手伝ってくれたっていうのも、あるよね。だって、昔はサーフィン雑誌なんか、なーいもん。
関野さん: うん。
Y: 70年代なんていうのは、外国のサーフィン雑誌ぐらいで、英語読めぇせんもんで、訳わからんかったし。それこそ、石井さんがあぁやって、ワールドやって、マガジンができて、ライフができてって。要は、何て言うの、見れる?っていうものが、だって、人の記憶なんて、すぐに忘れちゃうもんだからぁ。タイミング的にも、良かったんだよね〜。
関野さん: そぉかもしんないですねぇ〜。
Y: 本人、忘れとるけどぉ、昔、伊良湖にみえた時にぃ、えっとね、宿が無くてね、宿探しをしたの。覚えてないでしょお?
関野さん: いやまぁ、したかもしんないですねぇ。俺、昔、一人で行ってた頃に、勝手に宿捜して。まぁ、兄貴は女と行くって言ってたからぁ、じゃぁ俺、一人で行くわーっつって。
Y: でねぇ、俺、エピソードがあるの。そっちはもぉ、忘れてるよ。俺、こっち側だから。二人で来た時にぃ、宿取ってなくてぇ、んで、結構、大会があったから、色んな所一杯でぇ。でねぇ、赤羽根港の向こうの辺のねぇ、なんか、名前忘れちゃったけど、ま、民宿だわ。そこをぉ、探したらあってぇ、で、一緒に探したの。
関野さん: うん。
Y: で、その後にぃ、これ、雑談だよ。二人が、「薬局、連れてってくださいよ」って言ったの。
関野さん: 薬局。
Y: でぇ、車そこおいて、「じゃぁ、乗ってけばー」っていって、僕の車に乗っけて、あの辺の薬局屋さんに行った時にぃ、「領収書、ください」って言っとったんだわ。リポビタンデーかなんか、買ったんだわ、栄養剤。で、「いやぁ、しっかりしてんなぁ〜!」って、そぉいう会話をしたのを、もんのすごい、この歳になってもしっかり覚えとる!
関野さん: 兄貴でしょ(笑)。
Y: いや、二人だったと思うよ〜。で、「これも入れてけばいーじゃん」ってさぁ〜!ガハハハ!
関野さん: アハハハ。
Y: だから、あのぐらいかなぁ、そぉいう、選手意識っていうものが、結果としてだよ。うーん、僕は、あったんじゃないかな〜と思う。
関野さん: うーん、そぉすねぇ〜。まぁ、多分、選手でやることでぇ、うーん、色んなものを学びますよねぇ。ま、今のビジネスには関係なかったりする、シーンが多いですけどぉ。ただぁ、根本的な、何て言うんだろう、うーん、考え方っていうかぁ、うーん、イメージとかぁ。そぉいったものは、非常に、うーん、似てなくないなぁっていうのは、ありますねぇ。
Y: まぁ、ホンットに上手かったよ!
関野さん: まぁ、コンテストだけじゃないと思いますけど。
Y: コンテストだけじゃないけどねぇ、俺、上手いなぁ〜!と思ったのは、バックハンド。「バックサイドが、ムッチャクチャ上手い人だなぁ〜!」と思って。
関野さん: まぁ、あれじゃないですか、稲村も、やりますからね。
Y: うーん、伊良湖の岩場は、相性がいいのはぁ、あそこ、バックサイドでしょ。
関野さん: ウフフフフ。
Y: あれ、完全に、プロリタイアっていうか、出なくなったのは、94、5年?
関野さん: えーと、あれはですねぇ〜、91、92、93、94年。そぉっすねぇ〜、94かなぁ、の年にやめたんですね。
Y: その頃でしょ?あれ、もぉ、セキノレーシング、やっとったっけ?
関野さん: やってましたねぇ。
Y: だから、80年代の終わりぐらいにあれだったのかなぁ〜。
関野さん: 91年から始めたんすよ、会社。
Y: だってミッちゃん、営業に来たもん、当時。
関野さん: そぉですねぇ〜。名古屋はミッちゃんが行ってましたねぇ。
Y: 営業に来てるのか、しゃべりに来てるのか分からんかったけどさぁ〜(笑)。
関野さん: そぉなんすよ、最近、だからぁ、自分達が行っちゃうとぉ、その、ただの話になっちゃうからぁ、営業マンが行かないと駄目ですねぇ〜、やっぱり。仕事は。話が長いです、とにかくね。
Y: でも、役に立ったでしょ、色んな所回ったっていうのが。結果論だけど。
関野さん: そぉですねぇ〜。ま、あの頃は、二人しかいないからぁ〜、ま、二人でやるしかなかったんすけどぉ。たまたま俺達がやってた仕事が、そぉいうのが多かったからぁ〜。良かったっすよねぇ、こぉ、色んなお店に足を運んで、やったことが。
Y: だってでも、プロ、二人がやっとる時にぃ、そぉいう今のセキノレーシングが扱っとる商品があるでしょぉ?そんなのまで、まだしようと思ってないと思うもん。思ってた?
関野さん: うーん、まぁ、ゴリラグリップが来てぇ、俺達のビジネスはガラッと変わるんですけどぉ。
Y: うん、そぉだね?
関野さん: それまではぁ、あのぉ〜、シープスキンなんか、売ってたりとかぁ〜。あ、あと、リーシュコードをリガさんから、ま、今はレガさんって言いますけど。をぉ、リガさんから買ってぇ、それをミナミスポーツに売ったりとかぁ〜、あのぉ、仲卸やってたんすよねぇ。
Y: 仲卸ねぇ。
関野さん: えぇ、ちょこちょこ。でも、そんなことやってる時にぃ、ゴリラグリップやんねぇかって話が来てぇ、まぁ、そっからだから、変わってくんすよね。
Y: うん、あれがきっかけだよね。
関野さん: 一気に。
Y: まぁ、今、だって、ブランド側になっちゃったじゃん。今となっては。
関野さん: うーん、今となってはぁ、そぉっすねぇ。多すぎちゃってますね。フハハ〜。
Y: ハハハハ!
関野さん: ブランドが多すぎて、困っちゃいますよねぇ。
Y: いや、いいんじゃない、でも。そぉいう人がいないと、次の時代の人達が、ダメんなるから。
関野さん: うーん、どぉなんすかねぇ〜。
Y: いや、でも、今二十歳の奴がぁ、だって、後の、関野聡や、関野光延っていうふうにぃ、なる奴だって、いるわけだもんね。
関野さん: そぉすねぇ。
Y: やっぱ、何かがないと、なんないから。
関野さん: そぉっすねぇ。
Y: なるならんは、本人の努力だよ、絶対。
関野さん: そぉですね〜。
Y: だってさぁ、お金が仮に、あったからってさぁ、仕事が上手くいくとは限らんもんね、物事は。
関野さん: そぉっすね。
Y: あって消えた人も、いっぱい知ってるもん。
関野さん: ウハハハ!
Y: いや、ほんっとに。ちょっと話変えますけど、今のこぉ、海、あるでしょぉ。見てて、どぉなんですか?これはこれで、いい?
関野さん: 今の海ですか?
Y: うん。
関野さん: うーん、以前よりは、いいんじゃないかな〜、って、ちょっと思ったりして。
Y: うん。
関野さん: みんなの意識が、もっと高まってるよぉな気がします。
Y: あ、そぉですか。
関野さん: 色んな意味で。もちろん、中にはぁ、現場なんか行ったらですよ、もぉ〜、色んな人がいて、ぶつかりあっても、「スイマセン」も無い、みたいな。
Y: うん。
関野さん: 当たり前、みたいな?風な人達も、いますけどぉ。ま、そぉいう人達もぉ、いかにそぉいった、教育みたいな、でもぉ、教えてあげてぇ、最初、分かんないから、誰もぉ。だから、教えてあげてけば、いいんじゃないかなぁ〜って、思うんすよ。
Y: うん。
関野さん: で、情報も一杯あるしぃ、みんなに、そぉいうのを分かっていただいてぇ、海を使っていただければ、いいんじゃないかなぁ〜と思うんですけどね。
Y: うん。
関野さん: ちょっと前だったら、そぉいう、インターネットも何も無くてぇ、覚える術が無い人達が多くて。
Y: 知りようがない。
関野さん: そぉ〜、今だったら、どこにでもそんなん出てるしぃ、「はい、しっかり読んで、やってくださーい」っていう感じだと、思うんですよね〜。
Y: 敷居が低くなったからね、サーフィンはね。あの時代に比べるとね。
関野さん: うん。

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