先日の2008年8月3日に無事終了しました『A.S.P. WQS 6STAR 夢屋 ビラボン プロ 田原』を伊良湖へ招いたパイオニア・サーフショップ『MIC』の加藤さんへ電撃インタビューさせていただいました〜!!
吉川オーナーの背後に「ちょっと怖いカモ。。。」と思いながら、恐る恐るくっついて行きましたメグ。が、当初の印象とはうって変わって、大変紳士的で裏表なくお答えいただきまして、ワタクシ大変感激いたしました☆ ありがとうございます!!
古き良き伊良湖・赤羽根史、そして加藤さん自身のサーフィンの歴史などなど、興味深い話が盛りだくさんデス!!3〜4回に分けてお届けいたしますので、皆さまどうぞお楽しみくださいませ〜♪♪
吉川さん(以下Y): すいませ〜ん、アイス三つください。
加藤さん:何からいけばいい?何が聞きたい?
Y: こちらから質問しますから。
加藤さん: 何々、何でもいいよ(笑)
Y: 何十年前に戻ってー、えー、元々何歳からサーフィンを始めたんですか?出会ったきっかけとか。
加藤さん: ホントはー、19くらいに一回サーフィンしてんだよね。
Y: はい。
加藤さん:だけどー、その時、違うことやっててぇ、んでどっちを取ろぉか迷って、結局サーフィン止めたんだ、一回。
Y: あー、そう。
加藤さん: うん。俺F1レースしてたの、鈴鹿で。
Y: うっそー?!
加藤さん: うん。でもぉ、レースってすごいお金かかんじゃん。スポンサー無しでやってたからぁ。1レースで5〜60万かかんの。
M:えー??そんなにぃ〜?!
加藤さん:エンジンオーバーホールしたり、タイヤ替えたり、すべてほら昔の時代だからぁ、今みたいじゃないからね、チューンナップしたりぃ。。。で止めて、車ずっとやってたんだけど、20歳越えてから、やっぱり、なんっかこうサーフィンしたいなぁと思って、で21くらいから、またこぅ。
Y: ふぅ〜ん。。。
加藤さん:来て。来ては〜、車やりに行ったり、ホント夏だけチョロっと来てたりとか。でも結局22くらいん時にやっぱり「ダメだ」ってことで、サーフィン一本になっちゃったの。
Y: 昔さぁ、納屋橋のさぁ、ミツヒコさんとこがまだ三角形の小ちゃーいときにぃ。
加藤さん:いたよ。
Y: いたよね?俺なんか覚えあるもん。
加藤さん:なんか、行くと店番させられたりとか。
Y: 入ってすぐ入り口で、なんか三角形のさぁ。
加藤さん:客なのにぃ、店番させられたもんね、ミツヒコさんに。でもあそこ、僕は一番最初ホントはロコ行ったんだよ。
Y: ターザンとこ。
加藤さん:ターザンとこに行って、板買って、やりだしたんだけどぉ、あわんかったんだよね。
Y:最初まだターザンとこ?今の建物になる前の。
加藤さん:バラックで。
Y: うーん、バラック
加藤さん:今で言や、コンテナみたいなあーいうバラックね、だった。だけど結局まぁ、最終的にはロッキーだよね。会長と出逢って、会長とやって。でもその頃もぅ内藤ヤンがね、二年くらいやってたの。
Y: 内藤さんね。
加藤さん: だから内藤ヤンが二年やった後に僕が入ってって、で、内藤ヤンを知って、それから結構マジになっってたね。
Y: それがぁ、七十〜七八年?
加藤さん: そーだねぇ、そんなぐらいだろうねぇ。色んな記憶が混じってて、いつから始めたとか、そぉいうものが決まってなくて。多分一番最初始めたのは73年ぐらいなんだけどぉ。
Y: 一回隙間があって。。。
加藤さん: うん、あってー、その間に夏だけ行ったりしてたんだけどぉ、結局これじゃあってあそこ行って、一からのつもりで。だからそれがぁ70〜5・6・7くらいの間だと思う。でもそれからはもぅ毎週だったね。うん、海はね。
Y: 知立でさぁ〜、店始めたのって、まだガラガラって戸を開けるころ、俺行ったことあるんだよね。
加藤さん:おー、あれぇ、1981年。1981年に、やりだしたね。
Y: その「MIC」っていう由来は?娘さんの名前?
加藤さん:うーん、ミクの「未来」からとって、それをもじって「MIC」にしてぇ、んでやっぱ未来あるこうチームを作る。。。始めチーム作ったんだよ。んでそれがお店になって、自然と。
Y: いやー、でもあの頃みんなそぉだもんね。
加藤さん:そう、みんなそぉだった。
Y: そっから段々と・・・
加藤さん:だから名古屋行くのも遠かったしー、お店に。大変だから、じゃぁ、友達でサーフボード削ってるヤツもいたし、ウェット作ってるヤツもいたから、それで。まぁ自然じゃない?でも始めはさぁ、みんな「格好イーから」とか「モテルから」って感じでやり出してんじゃん。
M:やっぱりそうなんですね〜。
加藤さん: そうそう。
M: みんなそぉ言いますよねぇ。
加藤さん:僕一番初めにね、サーフィンやろうと思ったキッカケは、女の子とドライブしてて、サーフボードつんでる車、サニーの1200みたいなのがいて、そこ降りてったの。で後ついてったのわけよ。そしたらロングビーチの下まで行って、「何だこれー、こんなとこでサーフィンしてたんだぁ」って。その頃だから、何にもないじゃん。もーすっごい自然の中でぇ、俺は感激したね。
Y: あれでしょ、あそこにカントリーハウスがあって、お宮さんとこのドンつきがまだこっち側が下の方まで砂利のときで、あそこの上がさぁこう茂っとったとき。
加藤さん:そぉそぉ、まだ砂利でガタガタ道だったの。
Y: 海がバーっと見えると、ヤハチもまだ道も何にもつながってなくてさぁ、ワーっとこうなっとったの。
加藤さん:うーん、もぉねぇ、何て言うのかな、外国みたいな感じ?そういう感じの雰囲気で、「何コレー、日本かよぉ?」って思ったモン。それが一番最初にロングビーチ見た印象。それが『ロングビーチだ』っていうことも知らずに、ね。後々、あーここだったんだなぁっていう。一番初めに見たロングビーチはすっごい綺麗だった。まだ松もあってねぇ。
M:へぇ〜…あり得ないですね、今では。
Y: 「海」っていうとぉ、名古屋の人間は河和とか、内海の海水浴場しか知らんかったもん。
加藤さん:うん。でもその頃にもう5〜6人海に入ってたね。それがねぇ、一番最初にやってた人達なんだから。平日なんて人っ子一人いないんだから、土日に行くとぉ5〜6人とか10人とかいて、でもそれがぁまたマジにやろうかなぁって納屋橋のロッキーへ行くようになったらもぅ2・30人とか40人とかやってて、すっごいなぁ〜と思って。
M:ショートボードで?
加藤さん: もぉショートボードっていうか、うーん、でもロングじゃないね。2m以上のシングル。
Y: そぉ!ちょっとボテっとしたぁ、いわゆる当時「スティンガー」っていってスワローテールでさぁ。
加藤さん: 今でも持ってるよ。ボルトの板を。倉庫から出てきたから直してぇ。
Y: それ持っといた方がいいよ。
加藤さん:まだ俺マークリチャーズの削ってくれたツインとか持ってる。あれぁもう隠した!
Y: 知立のさぁお店があったころに飾ってあった!
加藤さん:そぉそぉ。でもねー、あぁやって出てくるから板が、ビックリしたね。全部自分の板売っちゃったって思ったんだけどぉ、出ぇてきたんだよねぇ〜。
Y: 加藤さん、一番最初にさぁ買ったときの板って持ってる?
加藤さん:持ってない。
Y: そーだよねぇ。。。みんな売っちゃってるんだよね。でも妙に欲しくなるんだよなぁ…。
加藤さん:一番初めにオーダーした板も、どれかは覚えてるけどぉ、持ってない。
Y: そーなんだぁ。
M: その頃はねぇ、自分達がそぅなっていくなんて思ってないでしょうしねぇ…。
加藤さん:全然思ってないよー。ただ単にさぁ、人より上手くなりたいってか、乗ってやりたいって。だって一年かかったんだよ、テイクオフするのに、その頃俺たち。ホントに板がねぇ、ビューっと走るのに俺一年くらいかかった、そんなすぐ乗れなかったもん。
M: えー、考えられない。
加藤さん: でもねぇ、俺すっごい面白い話があってー、俺サーフィン始めた頃ジェリー・ロペスの写真しか見てなかったの。だからぁ、ロングビーチで入ってグーフィーだったのが当たり前だったの。でもぉ、俺グーフィーしか乗れなくて、バックサイド知らなかったの。
M: はい。
加藤さん: で、ロコ行って冬になって、ロコでサーフィンした時に、何やったかっつーと俺レギュラースタンスで立ってたの。
M: へぇぇ〜。
加藤さん: 要はぁ、背中に波を見ることを知らなかったの!ロコで立ったときに左足が前でこやって走ってたの。んで、何気にそれをやってるうちに、五十嵐とかってその頃一緒にやってたヤツがぁ、「加藤クン、レギュラーだった?」って言うわけ。いやーグーフィーだよって。「でもさぁ、ロコでレギュラーで乗ってたよ」って言うわけ。「んんー?」って。ホンッと、それで写真撮ってもらったらホントレギュラーで乗ってんの。知らなかったんだよね、バックハンドって。
Y: ほんで何、どっちもいけた?
加藤さん:そぉ、その頃その代わり、バックハンド乗れなかったの。
Y: ロペスみたいだな、本当に。
加藤さん:だからロコでちゃんとレギュラーで乗ってる写真、あったねー。
M: へぇぇ〜!
加藤さん: だから、まぁ早く言えば知らなかったんだよ。誰も教えてくんないしさぁ。みんな自分のことしか考えてないの(笑)もぉ何かあったら「付いてこい」って。内藤クン、俺まだ始めて三ヶ月なのに、赤門に「付いてこい」って。恋路が浜のビューホテルの下、ビュー下。
Y: ビュー下ビュー下。
加藤さん:岩から飛び込むから付いて来いって。そぉいう時代だったの。
Y: 今の子はだったらすぐ挫折すると思う。
M: じゃぁ、内藤さんはもっと古いんですか?
加藤さん:僕がロッキーに行った頃はもぉ二年やってたけど、やり始めたのは一緒くらいだと思うんだけど、あの人はもぉ二年で普通にカットバックしてたよね。俺は一年でやっと横にビューっと滑れるようになったのに、もぉくやしくてさぁ〜。
M: 内藤さんはおいくつなんですか?
加藤さん: 僕より二つ上。50〜・・・
Y: 5?
加藤さん:いや、俺今年4になるから、6か7だね。
M: え〜、何か、そぉなんですねぇ〜。
加藤さん: だから俺ホント始めた頃はあの人の影響で、何くそぉーっ!って思いながらやってたよ。「負けるかこのやろー」っつって(笑)
M: アッハハハハ♪
Y: 内藤さんはぁ、だってもぉ俺らがやり始めた頃はこの辺ではいたもん。全日本だか何かにもいって〜。
加藤さん: そぉそぉ。
M: プロにはなってない?
Y: なってない、なろうと思えばなれたんだろうけどぉ。
加藤さん:そーだねぇ、でもぉ、あの人のおかげで俺は日本海も全部行ったし、三重から何から全部行ったよ、まぁミツヒコさんも含めて。うーん、まぁね、ミツヒコさんありと内藤さんがあって、今の俺かなってとこがあるかな。そこら辺でね、しっかりとミツヒコさんの、言い方がどうか分かんないけど「雰囲気のあるサーフィン」と、内藤クンのやっぱ「攻撃的なサーフィン」、大会志向の、両方を見てきてるから、まぁいいバランスだったけどね、その頃は。
Y: 面白いっしょ?
M: おもしろーい♪
。。。。続きは次回☆。。。

47