古道レポートの裏話です。
昨日このブログにアップした記事は
平成元年に書かれた父の記録(写真添付)をもとに
古道を歩いてみたのですが、
その時、どうしても見つからない石仏がありました。
地域の長老に聞いてみても「知らねえな〜、あったかな〜」
でした。近くに住む私の叔父に聞いてみたら、
一緒に歩いて(探して)みようということになりました。
でもありませんでした。その「ある」と思われる場所のすぐ
側の家の人に聞いても、「さ〜?」という返事。
私は父が間違ったことでも書いてあるのかと少し不安に
なりました。その父の書いたものは教育委員会発行の
本だったからです。
たくさんある父の資料を探してみたら、
昭和50年8月24日に撮った写真と説明書きがでてきました。
河原石(高さ58p、巾25p、奥行き12p)
建立月日記名無し、建立者記名無し、
名刻、一應(イチオウ)誓言法師
そして、別のファイルも出てきて、
平成3年に撮られた写真にもその石仏は写っています。
そしてその後のメモ書きに、「所在不明」と記されてありました。
近くの宅地造成などが行われていたので、その時に
埋められてしまったのか、どうか分かりませんが、
とにかく今はその石仏はみることができません。
でも、父が記録を残しておいてくれたので、
その石仏があったということだけははっきりしました。
また、こんな写真もありました。(昭和63年写すとあります)
現在の写真と比較してみると、石仏の置かれた位置が違っています。
父が生きているうちに、聞いておけば良かったと思うばかりです。
記録がいかに大切なことかと思い知りました。
どこの地域でもこんな風にして昔のものが風化し、
忘れ去られていってしまっているんだなと
思った次第です。