2007/10/18

黙想指導終了!  スケジュール管理

10月になっても暑さが続きます。10月11日から18日の今日まで、私は仁川に本部修道院があるショファィユの幼きイエズス修道会の黙想指導で留守をしていました。25名のシスター方と一緒に祈りをつづけることができ恵み深い8日間を無事に終了しました。神に感謝!黙想会では、毎回新しい気づきがあるもので、今回は「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖ももって行ってはならない」(マタイ10:10)、「・・・下着も二枚はもってはならない」(ルカ9:3)、「下着は二枚着てはならない」(マルコ 6:9)の箇所で、マルコの箇所を解説していると、「二枚着てはならない」というのは、着たきりすずめなのだろうか・・・着替えも持たずに旅に出かけ、もう一枚持っていれば、兄弟に分けるべきだが、ここでは、持っているものではなく、自分自身のからだを分かち合われたイエスのように自分を分かち合うべきなのだと・・・諭される。弟子はイエスの着物だけを着る覚悟がいるということなのだ・・・ わたしも自分の勉強した知識や経験をわかちあってきたけれども、それらは何の肉にもなっていないごみ屑のようなもので、紙切れの山の中で過ごしている自分をすごく醜いものと感じた。祈りの中で人々の命に触れ、イエスの命を分かち合うために自分を与えるとはどういうことなのだろう・・・ この夏はあまりに暑かったから、夜と昼が逆転した精神的に不安定な人たちが電話をかけ続けてきたが、夜中に、2時、3時、4時、5時、6時と電話がかかってきて私の携帯には、7月後半から9月前半まで毎晩の留守電が20本、それを越えると普通電話にかかってきて眠りを中断させられた。あまり電話をかけられると、しだいに怒鳴ったり、無言で受けたり、自分のこころは恐ろしい。相手には気の毒だが、イエスの時代にはなかった文明の利器は、あらたな悪霊の道具として、人間関係や人格を破壊する・・・わたしは忍耐できなくなった。 ようやく涼しくなって夜の電話はやんだ。わたしの知識や経験や宗教的な修行はこの人たちの前では無力であることを思い知らされた。「下着を二枚着てはならない」これは、無関係なことばのようだが、関連性が大いにあると気づかされたところです。
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