半月前、7月10日に母を送りました
折しもコロナ禍の中での事でしたので、通常とは全く違いました。
文字数が多くなりますので、今回は珍しくブログに掲載いたします。
母は6年前から施設に入っていました。
事情により2度ほど施設を移転し、2年前からは医師が24時間常駐しているところにいました。
ここでは3月上旬頃より新型コロナウイルス感染予防のため、面会が中止となっていました。
母は2年前に誤嚥性肺炎を患っており、コロナに感染したら即命に関わることが容易に想像できましたので、この対応は歓迎していました。ただ、面会中止の間にもしものことがあったら最後を看取ることができるのか・・・という不安は頭を過りましたが・・・
残念ながらその不安は現実のものとなりました。
7月7日の午後、熱があり肺炎になる可能性大との連絡がありました。
すぐに施設へ駆けつけたところ、万が一の場合の対応方法についての確認書にサインをし、その日は母には面会できず。
ただ、近日中に面会の機会を作りますとの話を聞き、その日は施設を後にしました。
実はこの時点では、さほど重篤な状態とは考えていませんでした。
2日後の7月9日、午後4時に面会可能との連絡がありました。
妻は時間的に無理だったので、娘とともに面会に行きました。
面会と言ってもガラス越しです。
僕らは建物の外側、母はステンドグラスの向かって右に、ストレッチャーで運ばれてきていました。(上の写真は後日撮ったものです)
施設から渡された携帯電話で最後の会話、もう一台の携帯電話を施設のスタッフさんが母の耳に当ててくれています。
会話と言っても、受話器から聞こえるのは苦し気な息遣いだけ、ただこちらから話しかけるのみです。

(苦しそうな母の表情にはボカシを入れさせて頂きました)
10分間ほどでしたでしょうか、面会が終了しました。
まだ僕は今後も何度かこんな機会があると思っていました。
しかし、面接を終えて施設の相談員さんから、「今、呼吸が止まってもおかしくない状態」との言葉、だったらもう少し母との時間を過ごしたかった・・・
さらに相談員さんは続けました、「万が一の場合には、亡くなってから連絡します」とのこと。
つまり、僕らが看取ることは叶わない・・・
次に電話が鳴ったのは24時間後、7月10日の午後4時過ぎでした。
説明のとおり「亡くなりました」との連絡。
現場から駆けつけてすぐに触れた母の頬はすでに冷たくなっていました。
新型コロナウイルスに感染した方は、家族と一切面会できずに最期を迎えられるという話は、志村けんさんの時に耳にしました。
施設や医療機関等により対応は異なると思いますが、コロナ以外でも平時とは違う別れになります。
僕と同世代の方々は、親御さんがご高齢かと思いますので、記事にさせて頂いた次第です。
なお、介護士をしている妻によると、こうして面会の機会を設けてくれたのは、ハートのある対応とのこと・・・付け加えておきます。

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