◇物と霊分けて捉えるその前の存在の音の胸に響くを◇
古い自然信仰をアニミズムで括る傾向がある。アニミズムは万物に霊が宿っているという信仰とされる。その前提として身体や事物と霊の二元論があるのだ。しかし日本の古い自然信仰は物がそれ自体が霊だという信仰であって、物と霊の二元論ではないのだ。
縄文時代から霊送りがあって、異界の存在が信仰されていたらしい。異界に行く部分が身体の不滅の部分であり、それが特に「魂(たま)」とか「霊」とか呼ばれていたらしい。この魂も玉であり、だから物なのである。つまり非物質的な存在ではないのだ。ただし魂や霊は変態するわけである。鳥や蝶や魚になって異界に行くとされた。異界にたどり着くとそこでセックスで母胎に入って、転生するわけである。
だから太古の人々にとっては異界はいわゆる霊だけの世界ではなくて、こちらと同じような自然界なのである。異界で肉体が滅びるとその一部である霊がやはり鳥・蝶・魚などに変態してやってくる、このように異界を含む生命循環があったと信仰されていたようなのだ。
したがって、人間の霊は変態して自然物になるのだが、異界にいくという文脈では鳥・蝶・魚などだが、変態するという文脈では雲や風や霧になるというのもあるわけだ。
無生物になっても霊は必ずしも死んでいるのではなくて、そういう風になって吹き抜けて生きているのだ。あるいは星になって輝いて生きている。生物学的な生死の概念では理解できないが、自然は人間の霊性の姿としても捉え返されていたのである。
それからこれは重大なことだが、不死の部分である狭い意味の「魂」と滅んでいく肉体の区別は始めのうちは絶対的ではなかったと思われる。要するに異界に行く部分として鳥や蝶などに変態する部分が「魂(玉)」である。その他の部分は土や水や空気に還るわけだから、肉体全体が霊性があるといえる。
そうなると自然というのは人間の霊の変態ということにもなるわけである。自然との融合や循環という視点からみると大変興味深いものである。
道具が神という場合も道具に霊が宿っているというアニミズムではない。道具自体が神なのだ。天叢雲剣自体が日本列島の象徴である八岐大蛇の霊なのである。だから覇権の神剣なのである。鏡や勾玉もそこに神霊がやどっているのではなくて、それ自体が神なのである。神社に祀られているご神体としての鏡・玉・剣などはそれ自体が神であって、そこに神霊が宿っているのではないのだ。言い換えれば鏡・玉・剣という物が霊なのである。
もちろん太古において自然物が神として崇拝されるばあいでも、神を宿しているのではなく、山や川や大地が神であり、霊的存在である。
これらの太古の神道をアニミズムで括ってしまうと、アニミズムが二元論を物に霊が宿っているという二元論を前提しているようにも受け取れるので、アニミズムという用語は避けた方が誤解が生じないですむのだ。
いつからアニミズム的に二元論で解釈されるようになったのか、縄文時代からシャーマニズムがあり、そこにアニミズム的要素が伏在していたのか、あるいは弥生時代以降の大陸の思想の影響か、その際の仏教の影響とか、いろいろ探ってみる価値はある。
神や霊と一般の事物を区別するのは、存在の二つの面を捉え、それぞれを実体化するからだと思われる。ここで「存在」というのは物と霊とに分かれる以前の在り方をいう。存在それ自体はそのどちらでもあり、どちらでもないわけで、それを西田幾多郎は絶対矛盾的自己同一と呼んでいるのではないだろうか。
存在はそれ自体で大いなる生命であり、その現われとして具体的な事物である。その意味ですべては大いなる生命の共生と循環の中で生成・消滅しているのだから、大いなる生命の表現としては個物の中に大いなる命が輝くわけである。その大いなる命の面が霊とか神とかと呼ばれていたのである。そして太古の人々は自らの中の大いなる生命との共振を感じたのではなかろうか。太古のシャーマンが霊を憑依させるというのも、物と霊に分かれる前は、この共振を意味していたのではないかと思われる。
しかしほとんどの事物は大いなる生命の現われであるにもかかわらず、我々の生命と簡単には共振してくれない。逆に生命にとって疎遠なあるいは冷淡な存在であり、時に危険な存在として現れてくる。その面を捉えて物や物体と後に表現されるようになったのかもしれない。
太古の人々は、後に霊と物として二元的に捉え返されるようになる同じ存在の両面を、命の状態の両極として互いに転化しうるダイナミックなものとして捉えていたので、一元論でいけたのではないだろうか。
たとえば稲はそれ自体命なので、稲が神である。それを食べると命が体内で燃えて、我々の命として働くのだ。ところが、時代が経つと、稲と稲の中の命(穀霊)を区別して、稲から命という稲とは違う実体が出てきて、人間の命と合体するというように説明されて二元論になったと思われる。
木と木の霊を区別して木の霊を崇拝するようになる以前に木そのものを生命の象徴として神として崇拝していた。海の神というのも、海自体であって、海に向かって祈りを捧げていたのだ。穀物や動物もそれ自体が神であり、そこに宿る不死の魂だけを神と捉えていたわけではない。
「いただきます」といって現在でも動植物に手を合わせて食べている。米や魚や牛を神として敬い、ありがたく命を頂戴しているわけである。その命を米や魚の身や牛の肉と区別して食べているわけではない。だからまさしく宗教の原点は、自然の恵みや動植物に感謝して、共生と命の循環に生きる態度だということである。
そういう一元論的な、つまり物と霊を区別しない、「存在」の宗教が太古からあったということだ。あるいは現在でも最も基層に生きているのである。つまりその宗教が現在も「いただきます」という言葉の中には残っているのではないか、そこから宗教の再生の可能性があるというのが、21世紀の宗教改革の出発点だとわたしは言いたいのである。
参照ー日下部吉信著『ギリシア哲学と主観性』法政大学出版局

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