今も昔も変わらない  日常

小6の頃に買ったコロコロコミックについていた付録に「マイクロコミック」というのがあった。
小さく縮小した「ゲームセンターあらし」の原稿を切り抜いて折りたたむと手の平サイズの本になる。
確か学校に持って行ったと思った。
それをヒントに「自分で雑誌を作ろう」と同じサイズの雑誌を作った。
名前もパクって「マイクロコミック」にした。
創刊号は原稿募集だけ告知して同じのを8冊くらい作って友達にあげた。
原稿は二つ折りにすると4ページになる寸法。あっという間に原稿が集まり、集めた原稿をまとめて背を糊付けして1つしかない雑誌を作り、回し読みさせた。
自分の発想だと言いたいが、後に「まんが道」で藤子不二雄が少年時代に本格的な雑誌を2人で作ったと知るが、まんが道は確かに読んだの遅いのでそうだと思うが、コロタン文庫の「漫画の書き方」にもしかしたら書いてあり、それが記憶にあった…なんて事も想定できて断定は出来ない。
とにもかくにも、毎月の小遣いでは沢山のマンガ本など買えない連中にはオオウケで発行するたびに原稿が増えてページ数も増えた。
親父の会社のコピー用紙がダメになった(詳しくは知らないが昔は袋が破損して光に当ると紙がダメになった)のがウチに沢山あって皆にあげてたし元手が要らなかった。
クラス内では予想以上の大ブームを起こした。
卒業前に「廃刊」を宣言して終わらせた。20何号か出したハズ。アイドルブームにも似ている。
その卒業1週間前にA君が「卒業の日までに毎日創刊する雑誌を作りたい」と相談を受け、サイズを少し大きくしたモノを作る事になった。
A君も名前を考え見せられたがピンと来ずオレに振られて「ミニコロコミック」と言ったら採用された。
5号くらいまで出したと思う。
中1になり、今度はO君が「ミニコロを引き継ぎたい」と言い出してO君版のミニコロコミックが創刊された。
みな、律儀にオレに話を通してくる。まるで力道山のようだ。
誰のアイディアか忘れたが、人気投票を導入して、先ほどのA君が描いた「とどろけ!1番」のパロディ「おどろけ!2番」とオレのゲームセンターあらしのパロディ「ゲームセンターはげし」というハゲ頭の主人公の漫画が2分した。
漫画家は10数人いたと思うが、中心にいて常に描いてたのは6人くらいだったと思う。
以前に書いた「目の前でオレの漫画を読んで腹抱えて笑った友人」の元祖ライブの体験談はこの中1の頃。
その中心メンバーの1人であるK君が「新しい雑誌を作りたい」と相談してきた。
O君とは良くケンカしていたし良く思っていない。ま、O君が割りとお調子者だったし。
普通ならコロコロも卒業していたしジャンプとかサンデーをもじった名前を付けそうだが、プロレス雑誌を既に読み始めていたので「エキサイティングミニコロはどうだ?(エキサイティングプロレスという雑誌があった)」と提案して創刊した。
面白い展開になってきたので創始者の利でオレは勝手に「デラックスミニコロ(これもデラックスプロレスというのがあった)」を創刊。3派分裂となった。
O君は当然激怒。
オレはまるでアントニオ猪木のようだった。
中2の頃には大学ノート半分くらいのサイズになり、ウチのオヤジの会社にあるコピー機(当時はコンビにも無いしコピーするには駅前の大きい文房具屋とかに行かなくてはならなかった、親父の会社ならタダだし)を使うまでになったが、最早サークルと化していて、一般層にまで読まれるようなエネルギーはなかった。
やはり小6の頃が一番良かった。
あのクラス中に蔓延して隣のクラスまで行き渡る感覚…
回覧雑誌というのが、またね。

何がしたかったというと、漫画を描くというよりも世間を騒がせたいという事になるのかなー。やっぱり猪木みたいだが、観る者を掌に乗せたいよね。
そこが今も変わらない。


未だに似たような人に会った試しが無い。
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