美術で今もっとも欠乏しているのはおそらく「希望」です。美術全体に対してもしかして現状肯定できるという楽観的な人はいるかもしれませんが、「希望」を持てる人はなかなかいないように思えます。
誰に聞いても今の美術がどうなっているのかわからないと言います。では、どうすれば美術は「希望」を持てるのでしょうか。
ここでいう「希望」というとは“将来に対する期待。また、明るい見通し。”なのですが、「期待」を感じるためには何かしらの変化の「兆候」が見えないといけないのです。「兆候」が見えることによってようやく人々は、「希望」という想像力が生まれ、自分達も何がしかの行動に出ようかなというイメージが湧くことになります。
もちろんそんなに状況が簡単に変わるわけでも、「希望」が生まれるわけでもないのですが、この鬱屈した不安や感情をとり払うためにも「希望」を作り出す道筋を少しずつ考えていかなければなりません。
では、今の状況で最も深刻な「問題」とはなんでしょうか?それは、多くの人間は「絶望」しているわけではないということです。もし今の状況に対して深く「絶望」している方がいるとしたら、その方は美術のなかでは大変優秀な人だと思います。けれども普通はそうではありません。
なぜかといえば、今この状況が持っている絶望的な問題とは、現代美術が少しも「希望」が持てないということが、必ずしも美術関係者にとっての「絶望」にはつながらないということだからです。では、そこで「絶望」の変わりに生まれるのは何かというと、これは「惰性的なやる気のなさの蔓延」なのです。つまりこれからのことを考えることに対する思考停止です。思考停止からは絶望という概念は生まれません。これはもちろん僕自身にも降りかかってきている問題です。思考停止は状況の持続、もしくは悪化を生み出しますので、この思考停止の状況を変えないことには、今の絶望的な状況を変えることができないのです。
ということで問題は明確なわけです。こういった感情をどう打破すべきなのかということを長期的なスパンをもって考えていくべきなのですから。
ではこれから起こるべき「兆候」とはどういったものなのでしょうか?
たとえばその「兆候」というのは、「○○の作品が売れ出したぞ!」というものでは残念ながらありません。そういう他律的なものを期待できるほど現在の社会状況が甘くないことは、世界共通の認識だと思います。
それでは、「「ネオ・ジオ」や「ニューペインティング」っていうなんだか新しいムーブメントが興り始めてるらしいぞ!」ということでしょうか?これも残念ながら期待できない。なぜかといえば今、美術が新しいムーブメントを捏造できるほどどうも元気をもっていないからです。「美術手帖」の迷走ぶりを見れば、誰しもそれを理解ができると思います。
ですから皆さんもご理解のとおり、「兆候」を安易な持続のなかでの「新しさ」として捉えるのは難しくなってきているわけです。
では理論としてのポストモダンではなく、状況としてのポストモダンが成立した90年代以降現代美術はどのような変遷を辿ってきたのか、以前書いた「シュミレーショニズムからの変遷」とは違う切り口で考えてみることにしましょう。
美術はこの15〜20年ほどの間を振り返ってみると、どのような人間が美術を牽引するのかというイニシアチブを持つ場所が、周期ごとに代わってきていたということがわかります。
90年代前半というのは、アメリカ中心の現代美術が終わり、さまざまな国や都市で美術作家が発掘されます。そういった局所的な場所からの発言が取り上げられるようになりました。これは確かに倫理的な問題もあるとは思いますが、アメリカ現代美術の失速から全体を一国がリードすることが不可能になりつつあったといえるでしょう。つまり発掘という言葉からも多少なりとも感じられるように、文化多元主義やポスト植民植民地主義的な動向のなかには、少なからず植民地主義的な状況が入り込んでいたと言えます。
それとは少し違いますが、たとえばYBAというのはイズムでも傾向でもなく(もちろん傾向はありますが)、イギリスという単位でまとめられていること(作家達もそのことに戦力的でした)によって強い影響力を持ったのです。
そしてその後は、そのほかの国の作家達も、国旗や人種とともに評価されるようになっていきました。そのため作品の紹介に、作家のプロフィールと写真が必須項目として置かれるようになります。現代美術のカタログ化の始まり。そういう文化多元主義による同時多発な美術状況が、美術を中心を動かすようになりました。
そして、モダニズムが崩壊しポストモダンな流れのなかで全体を包括するような批評の力が低迷し、グローバルでインターナショナルな展覧会を組織する実行力を持ったキュレーターが大いに注目されることになります。
海外ではさまざまな人が有名になりましたが日本では長谷川裕子がわかりやすいかと思います。これは、80年代からの現代美術の保守化したマーケティングに対する反動でもありました。それに関連して、この頃はモナド的な作家主義というものを批判的に捉えたヨーロッパの動きもあり、作家自身も積極的にコラボレーションやキュレーションを行っていくようになっていきました。
しかし、世界中でビエンナーレが行われ飽和状態となり、決まった作家のルーチン化が目立つようになって、世界的な大規模な展覧会は徐々に低迷を迎えます。
その後に注目されたのはキュレーターや評論家より誰よりも早く作家の情報や現場の動向を掴んでいるギャラリストという存在です。そこではまた、リレーショナル・アートなどのプロジェクト系や映像系の作家の台頭からの反動として、再び絵画や彫刻が注目されるようになったとも言えます。このようにしてビエンナーレからマーケットへとシフトしていきました。そういった意味も含めて日本では国内外のギャラリストが注目作家とともに雑誌に登場するということが頻出しました。80年代というのは、まだ作家神話や批評が機能しており、マーケットはそれについていったといえますが、90年代後半はギャラリストが積極的に動向を作っていったといえるでしょう。
しかし、ギャラリーというのはブランド物のアパレルショップと一緒ですから、けしていろんな作家を扱えるわけではない。また、有名になるにつれてギャラリーのカラーを固めていかなければいけない。それがガゴシアンのようなビックなギャラリーでなければなおのことです。つまり作家選びにリスクをおえなくなっていきます。
状況的に支配的な影響力を持つギャラリーが出てきても、日本では小さいジャンルである現代美術を一気に島宇宙化してしまいました。すると当然現代美術は、マクロ的な変化を作り出せなくなっていきます。マンネリズムと亜流作家の生産、この現代美術の状況にいち早く気がついていたのも、ギャラリスト自身かもしれない。そして、ギャラリストは作家や美術の動向を変えるのではなく、買い手のあり方や市場を変えるという方向性にシフトしていきました。それがギャラリストやディーラーからコレクターへと向かい(結局それ自体は不完全燃焼でしたが)、作品(商品)から投資へと美術の流れが変わっていったのだと思います。
ただ、ご存知のとおりアートバブルははじけましたので、このコレクションや投資が現代美術の状況を牽引することは、いまやずいぶんと停滞しているように見えます。
これが現在までの状況の変遷です。もちろん大枠ですが。このように、キュレーターに始まり、ギャラリスト、コレクター(投資家)の変遷を見ていくと、90年代以降というのは、作品や理論が美術を動かすのではなく、イニシアチブをどのような職種の人に持たせるかで、状況論的な新しさを作り出してきたということがわかると思います。これはですから、現代美術の延命措置としては必然的な流れだったかもしれない。
しかし、現代美術の組織を構成する職種というのはそんなに多様ではありません。そういった意味で誰がジョーカーを持つのかというのはそろそろ無理をきたしているのが現状なのです。つまり90年代以降現代美術の状況を作り出していた下部構造がもうそろそろ機能しなくなってきたわけです。
では何が現代美術を作るべきなのか?それを考えずに、現代美術は困難を打開することは難しいのだと思います。「兆候」はこの下部構造をシフトするところから生まれるのではないだろうかと思っているわけです。つまり今が変え時チャンスでもあるわけです。これは日本の政治と一緒ですね。
この話の続きは長くなってしまうので違う日に書こうと思います。なんだよそこまで言っといて、自分が考える打開策の話はしないのかよと思われるでしょうが、問題はもう少し複雑であり、もう少しいろんなことを考え、書かないと踏み込んでいけないように思います。もう少し整理してみようと思います。
また、現代美術を考えなければと思っている人がいれば、ぜひご連絡くださいませ。このブログ上でというわけではなく、いろいろ議論していける人に出会えたらと思っています。もちろんそういう友達もいるのですが、今は行動的なレベルも含めて視野を広げたいとも思っていますのでよろしくお願いします。ちなみに前に紹介した
アラゴは本格始動を始めたようです。