ヨーロッパではポストモダンは終わり新しい「モダニズム」の到来を、ということがここ何年か叫ばれるようになった。それがポストモダンとか文化多元主義における寛容さを示しているほど、(中東諸国、インド、中国、ロシアなどの台頭により)EUが経済においても歴史・文化においても余裕がなくなりつつある状況での西洋中心主義の表れとすれば、それは一つのヨーロッパの保護政策を始動させることでもある。ポストモダンや文化多元主義の終わりが文化競合主義へのシフトにならないとは言えないかもしれない。これは日本においても当てはまる。これは警戒しなければならない状況でもある。
とはいえ、なし崩しになってしまっている先進諸国の現代美術(史)は、状況論的にはアイデアの枯渇と思考停止が否めない。そういった現状では現代美術における新興国の勢いに勝てない気がする。特に日本のスノビズムと幼児性の行き詰まりは、今後ますます力を持ちえなくなるだろう。そのため競合の離脱と打算として、鎖国状況になりつつあると言ってもいいだろう。ここらへんは政治、経済もあいまって誰しもが認識していることだ。
問題は政治や経済のように、この二重の危機に対する議論が美術(ギョーカイ)ではあまりなされていないことだ。これは市場の問題でもあるはずなのに力を持っている人や場所ほど閉口しているような気がする。また日和見主義から自閉型ナルシシズムへの作家の変容がさらに状況の出口をなくしていることも忘れてはならない。しかし、もしこのなし崩しの状況が、崩壊(消失)なしに回復はありえないのなら、まずどうバランスが崩れる(崩す)のかを早く知る(考える)べきなのかもしれない。