時事ネタにすぐに反応することをどちらかといえば躊躇するところがあるけれど、今回のは一応反応しなければマズい気がする。。。
昨日友達からchim↑pomが謝罪会見を行うらしいという話を聞き、ああそういうパフォーマンスに出たのかと思っていたが、今日、別の友人のミクシーの日記に取り上げられていた記事を読んだ。う〜んついにきたかという感じ。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810220233.html
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200810230067.html
“「問題になるのは予測していた。被爆者を傷つけたとしたら心が痛むが、若者と戦争を知らない世代の関心を呼びたかった」と主張する。”のであれば、ここからが正念場なのではないだろうか。とりあえず、chim↑pomの意図は成功したのだ。
謝罪で問題を解決するのではなく、何が問題だったのかを責任をもって次の行動に移るべきではないだろうか。“神谷幸江学芸担当課長は「悪ふざけではないと信頼している。作家の行為の是非について私が判断はできない」と説明。「どんな議論を生むか、そこが面白いところ。被爆者団体の意見がすべてではない」とも言った。”これは正しい態度だと思う。それに対して、はっきり言って原田館長という人の発言には正直開いた口がふさがらない。
このままで終わってしまうのであれば、本当に“若者と戦争を知らない世代の関心を呼びたかった”という偽善的なオチを用意して、結局chim↑pomは、美術内部の人たちの関心を集めるために、ただ刺激の強さだけに反応してやっていた集団としか言いようがないのだから(実際ネット上ではそのように語られまくっているわけだから)。実際、もし、本当に、そうでしかないのだとすれば、どうしたって、擁護することなんて、できるはずないだろうぅ。
関心は集まった、さぁ、で、何が言いたいの?
しかし2ちゃんねるやブログなどの意見を読んでみると、ここで議論となる問題は、原爆や若者の問題ではなく、美術のありようについての問題なのだと思います。
今、美術や表現の前提で、考えなければいけない問題って何なんですか???
まさに、この問題が突きつけられている!
chim↑pomの今回の態度が現代美術の表現の中で倫理的に最低水準な態度とはいえませんよ。議論しなければいけないのは、すべての美術関係者(もちろんコレクターも含め)でしょ。
現代美術関係者が、まさか、自分は関係ない!、とか思っていませんよね???
chim↑pomが頭悪いくせに危険なことやってるから悪いんだよとか言うことは解決が導かれません。
chim↑pom持ち上げたのは現代美術、批判しなかったのも現代美術なんですから!僕たちの責任のわけです。
問題は顕在化しないだけで、だれしにも関わる問題なわけです。
あなたたちの表現の前提はなんなんですか?これはメディウムの問題じゃないです。
ポストモダンなんだから市場別に好き勝手にやっていいとかじゃなくてさ、いい加減美術全体を考える議論を一度しましょうよ。
「「孤立」する越境者―現在の作家、その可能性の中心」
↑僕が美術において考えていることはこのような問題意識です。もちろんこれは僕の態度・意見として大変偏ったものです。けれど僕はchim↑pomに対しての発言を超越的な位置から言っているわけではないので、リンクをはっておきます。そして今回の問題を切り捨てることができません。
ASLSPのほうでも実践的な活動を少しずつ行っていくつもりです。
興味のある方は読んでみてください。