“それは、自由を触発し、強制する。だが、まさにそのことでかえって、自由は萎えるのである。(大澤真幸「不可能性の時代」)”
日本の現代美術界を楽観視している人はどうも少ないようである。けれども自分たちが所属するギョーカイ(ギャラリー、美術館、レジデンス、大学、公募、作家たちの自主運営など)を批判するだけでなく、よりよくするために考える、行動するということは大変体力のいることである。
現在、現代美術においてギョーカイの閉鎖感は強く、それらのギョーカイは実質上独立した美術(?)を組織・形成しているように感じる。つまりそれらのギョーカイは、それぞれが無関係と言っていいほど、無関心に別々の美術を形成している。もしくは実利的なものだけが過剰に膨れ上がりながら結びついている。
行政や企業側からすれば、イベントをやる時にただイベントとかワークショップと言うよりは「アート」と言ってくれた方が了解を得られやすいということがある、という実情くらいのレベルでアートと名づけられることも少なくない。
しかしそこで問題なのは、それらギョーカイにおいて領土性における保守化であり、外部への意識的な働きかけが(だからこそ美術の拡張性は意味があったはずなのに)希薄になりつつあることだ。
だから、ある作家の展示なり、制作なり、発言なりに少しでも自分と違う美術観が垣間見えると、それはすぐさま自分が所属する美術の外部・外野と認識してしまう(他人事)傾向が強いのではないだろうか。
そのため実利的な利害関係が美術において、もしくは友達や先輩後輩など内輪の人間関係によって、人と人が結ばれる事態がますます強く、それだけになってきてしまっているといっても過言ではない状態にある。
外部的なものを積極的に取り込もうとしていたつい10年、20年ほど前までの美術はほとんど忘れ去られ、近代以降これほど美術が自由というものから程遠い存在になったことはなかった。
それは美術に規範が消滅し、侵犯として得られる自由が消滅したからでもある。それによって美術作家は、ある意味で作品の個人化(小さな物語)と自由であることが強制化されることになり、モダニズムの美術が持っていたような自由という快楽・官能性は消滅してしまったのだといえる。(八十年代の「言説」に対するアクションとしての制作がいまや日本ではほとんど目を向けられなくなってしまった。)
これは美術だけに限ったことではない。社会が包摂型社会から排除型社会へと後期近代の社会・国家が移行、変容していく中で、どのように抵抗するのかといえばかなり難しい問題だ。
そういった中でこのような状況をポジティブに考える・捉える必要性もあるだろう。
この事態は一方で、現在に囚われる必要もなく、自分の関心に集中すればよい状況になり、作品に対する等身大の探求がやりやすくなったと感じている人も少なくないはずだからだ。グローバリズムや情報化の嵐から日本の現代美術は後退したところがあり、ある種の不安を抱えず制作を行えるようになったという人々が、意識的であれ無意識的であれ増えてきているように感じている。少なくともムーブメントの圧迫から多少なりとも開放される環境が整いつつある。これに少し飛躍した想像力をもたせてみよう。
その想像力とは、ギョーカイの内輪その連帯にむかうのではなく、むしろそれらの連帯から積極的に「孤立」して閉じることによって自由を獲得することの可能性だ。
“本来、異質な他者たちを含む普遍的な社会空間を見通しうる超越的な視点の座が希求されていたのである。そうした視点の座が、今日では、同質的な他者のみが参加する、排他性の強い―しばしばサイバースペース上で展開する―共同性へと投射されているのではないか。(中略)社会性が、その反対物として―非社会性として―現象するという逆説に、オタクのもうひとつの不思議がある。(大澤真幸「不可能性の時代」)”
ここでの言及は、オタクの(非)社会性にかぎらず、美術のいわゆるギョーカイにおいても指摘できる部分だと思う。北田暁大も指摘するように(あらゆる)ギョーカイへの信頼は失われ、失墜してしまっているのは、誰の目にも疑いえない。だとするのであれば、自分が持つべき社会性を信じ、非社会的行動に突き進むこと、その可能性と倫理は考えるだけの価値があるのではないだろうか。
もちろん、オタク的な消費者と違い、制作者はギョーカイによって利益を得るプロフェッショナル(を目指す者)であるからして、オタクの(非)社会と美術作家のギョーカイはまったく異なるのだという意見は当然あるだろう。
そしてたしかに、「孤立」することはプロフェッショナルという存在から背を向けられることは大いにありえる。しかし「孤立」へ向かうことは、矮小化したギョーカイに背を向けるとも、プロフェッショナルという存在に背を向けることではない。ギョーカイの中/外で「孤立」を求めながら、プロフェッショナルに向かうことはいかに可能かという可能性の探求なのである。
いまや鎖国的な傾向がある中で、ギョーカイの美術観は著しく矮小化し、下手すれば一人の作家よりも美術に対する世界地図が狭くなってしまったように思える。また美術作品の発言、政治性というのは驚くほど守られている、もしくは無視されていて、ネット上での一個人の発言に対してこれだけナーバスになっている現在、まるで反比例するかのように現代美術における表現については無批判であり無頓着になっている。つまりそういった表現の可能性もまた現代美術のギョーカイよりも一個人の方が大きいのである。
こういった状態を招いた原因のひとつは、この10年くらいのプロフェッショナルということの考えられ方にあるのではないだろうか。
マックス・ヴェーバーが『職業としての政治』の中で、政治家が政治「のために」生きるか、それとも政治「によって」生きるかの違いにおいて、政治「のために」生きる意味ことの必要性を説いた(その二つには明確な違いがあれど、それをきれいに二分することなどできないわけだが)。美術では、市場拡大のためにあまりにも美術「によって」生きることが称揚されすぎたのだ。それが日本の美術のギョーカイにおいてこれほどのマンネリズムと一元化を強めてしまったのではないだろうか。もちろんこれは市場だけの問題ではまったくないとはいえ、90年代後半から日本の美術はほとんど一歩も歩を進めることができず足踏み状態であることは、おそらくほとんどの60年代生まれの作家たちが認めるところであるのではないか。
美術という理想や虚構を捨てリテラルに世俗的な現実に身を投じるようになったこの現象は大澤によれば、「現実の中の現実」への回帰であり、極度に暴力的であったり、激しかったりする「現実」へと逃避していることである(それはさまざまなところで例を挙げられるが、その一つは日本におけるモーニング娘。の登場つまりつんく♂と、村上隆との同時性に、僕は強くそれを感じている)。
なるほど現代美術が市場主義に向かったのは、さまざまな挫折と頓挫の果てであり、その現実からの逃避以外の何ものでもなかったのだ。
そういったなかで美術「によって」生きる(そこには作家を疲弊させるに十分な厳しさ=暴力的な現実=リアルが用意されている)ということを逃避の対象にしないこと、そのために「孤立」を選ぶことは一つの可能性を持つのである。
ヴェーバーのこの本が書かれたのは第一次世界大戦後の直後であり、同時に第二次世界大戦にドイツが再び飲み込まれる戦前の時期であることをしれば、事態はよりリアリティを増すのではないだろうか。
制作とは、制作というだけで外部を要請するものだ。制作の緊張とは外部との接触、そこでの緊張感である。多くの美術史家が指摘するように、ポスト・インプレッショニズムのゴーギャン、ゴッホ、セザンヌはそのようなアウトサイダーと呼べるほどの「孤立」の中で制作に没頭し続けたわけだし、圧倒的な緊張感のもと制作を行い続けた。とはいえ彼らは自分の制作において歴史や外部というものを常に明確に認識していたという意味でまったく趣味的ではない。
当時印象派がアカデミズム化をまぬがれなかった中で、彼らの広い見識と独特の考察と探求は、そう簡単に受け入れられるものではなかった。ある意味で強い外部性を持ったがゆえに、世俗的な外部との接触を切り離してしまったのだ。
当時彼らにとって美術館やテクノロジーの発展などが大きな可能性を作り出すことを手伝っていたように、日本にいる私たちでも、現代のあらゆるメディアやテクノロジーよって、彼らと同じように「孤立」しながらも作品制作におけるさまざまな検証を可能にする環境を手にしているといえるだろう。
が、と同時に美術制作をしている者にとって、美術の外野などという立ち位置などは存在しないのではないだろうか。美術における「孤立」の状態が、単にナイーブな人間、着地点を見つけることのできないあいまいな作家ではないとどうしたら判断できるだろうか。そのためにも制作においては世俗からの「孤立」に可能性を見出しながらも、もう一方では土足で他人の領土内に踏み込む勇気がなければいけない気がしている。世界地図の可能性は紙を広げなければ意味をなさいのだ。可能性を見いだすためには、この現在に対して、また現代美術の複数のギョーカイに向けて、浸透しやすい外部を持ってして、また浸透しにくい外部もごり押しし、土足で越境を繰り返す、かきまわすことなのではないだろうか。
こういったことは、ドイツのいくつかの美術館で近代以降の作家の英雄性や神話性に対する検証・批判としての展覧会がいくつか行われていくるのと無関係でも偶然でもないはずだ。
とはいえ非社会的行動とは革命的で英雄的なものとなる必要はない(同時にそれとまったく無関係にもおそらくできない)。制作とともに発見された外部と一人黙々とダンスし続けること。
英雄的な行動とは、ブッシュが不思議にも9.11以後、ラディンではなくイラクへと向かったように、その物語の捏造、偽の記憶を作りかねないし、結局はブッシュのように“虐待する猥褻な父”性を演じてしまう。その意味で大澤が言うような、今日的な意味であるにせよ物語性を発動・捏造させるために突き動かされるような事態(不可能性の時代)を裏切ること、〈他者〉抜きの〈他者〉との出会いという支配的なコミュニケーションに抵抗するために自らが〈他者〉となること。
複数の領土を越境するがそれを安易に束ねてはならない、それに対する意識は強い。しかし、そこに対する明確な方法論や理論を僕はいまだ持ち合わせていない。それが自分の限界と空回りを形作っている。が、そこに向かうことが今必要なのだということだけははっきりとして疑ってはいないのだ。
“だが、それにしても、もし第三者の審級を極端な破壊を媒介にして逆説的に取り戻すことによってしか、われわれは救われないのだとすれば、やはり事態は絶望的である。(大澤真幸「不可能性の時代」)”