
『革命の夜、いつもの朝』
デモやストが、当たり前の国がある。
このドキュメンタリーは1968年5月、そんな国に起きた"五月革命"と呼ばれるできごとを記録している。
といっても、それは、この国にだけ起きたことではない。この年、世界を学生運動の嵐が吹き荒れた。
嵐の予兆は、世界に現れていた。東側諸国では体制が音を立ててきしみ初め、
西側では、ベトナム戦争の砲声が鳴り響いていた。
世界のシステムが大きく変わろうとしていたのだ。変化の足音を、学生は敏感に聞き取っていた。
ただ、労働者を巻き込み革命前夜の様相にまで運動が発展していたのは、先進国では唯一フランスだけであった。
「バリケードの夜」を契機に大学では占拠、そして行動委員会の結成が始まり、
その動きは職場、地域、リセへと重なり合いながら拡大する。
労働者は続々と工場を占拠し、山猫ストに入る。すべては自主的な動きだった。
学生の火遊びとたかをくくっていた政府は、弾圧に精を出しているうちにある日炎の大きさにびっくりすることになった。
世界の先など、誰にも見えていなかった。
ただ若者たちは、あらゆるシステムにノンを突きつけること、自発的に行動する楽しさがあふれていた。
こうして、街から生まれた革命の夢は、
自主的参加と横断的な連携というスタイルを残し、6月、選挙の街に消えた。
石川史雅(翻訳家)
この文章は『革命の夜、いつもの朝』(1968)という映画の冒頭で流れる。1968年という激動の時代におこったフランスの5月革命を記録したドキュメンタリー映画『革命の夜、いつもの朝』は、写真家としても有名なウィリアム・クライン(William Klein)が監督した作品である。
そこでは、革命について、デモ自体の意味をめぐって、労働について、階級について、政治について、戦争について、労働者が、経営者が、小説家が、映画監督が、学生が、教授が、政治家が、思想家が、さまざまな場所で議論を交わす、それに明け暮れるといってもいいほどの風景が映し出されている。その熱気は5月革命が、今では信じられないほど過剰で過激な事態であったことを改めて教えてくれる非常に貴重な映画だ。
クラインは、無許可で議論の輪のなかに入り込み、活発に移動し、撮影と録音をおこなっていく。クラインは何の発言や質問もしないにもかかわらず、けして輪の外で観察している観察者ではなく、積極的に参加者のなかに入って食い入るように見ている/耳を傾けているのがわかる。
路上や建物で人々が知識人、経営者、政治家、労働者などを囲み、議論し、質問し、反論する。同じ高さで顔をあわしながら議論が繰り返されるとき、そこにいるすべての人間が対等に参加しているのだということが、たとえ会話の内容が訳されなかったとしても空気で伝わってくるほどであった。そこにはまさに「現在」という一体感がみなぎっていた。僕が一体感とよぶそれはファシズムのような統一を名のものとにした一体感とは異なり、論争が前提となった、つまり差異のぶつかり合いの中で生まれている一体感である。つまり議論の内容のレベルでいえば対立しているが、場のレベルでいえば彼らの議論が一体感を生んでいるのだ。
クラインはこの異常な事態のなかで、事実的な推移や整理といったことよりも身分・年齢・性別・職種・人種の違いを超えておこなわれたこの運動の熱気と一体感そのものに着眼しているような気がする。
会社や社会、学校などであれば、そのような立場をわきまえざるおえないのが通常だがそういったものはこの映画では観られない。ある意味でそういった破壊こそが単なるブルジョワ学生たちの熱病にとどまらない、大きな運動であり、革命といえるものだったのかもしれない。
デモの失敗や革命の不可能性を口にしながらも、多くの人々が信じられないほどこの革命のなかに入り込み能動的に動いている。
もちろん台風のように革命が過ぎ去ったあとに残した傷跡は、計り知れないほど大きかった。しかしこのような僕たちの常識を超え、起こりえないような事態が起こりえたという消すことのできない可能性(それはノスタルジーや憧れではなく)がこの映画を不可避的に輝かせているのは否定できない。
ここでは、社会的に作られているいくつものフレームがぶつかり合う(際立つ)とともに、かく乱させられている。この映画は著名な文化人や知識人が出ていようとまったく特権的な扱いをおこなわないので、どこに写っていたかわからないものがほとんどだ。重要な人物であったとしても写っているだけで発言をまったく録音していないこともあった。そこに映し出される人間は誰であろうが、すべての人間は同じように対等に映し出されている。
さてそういった中で、ゲイリー・ウィノグランド(Garry Winogrand)が1969年にグッゲンハイム奨学金により開始した「イベントにおけるメディアの影響」をテーマにしたプロジェクトである『Public Relations』という写真集を見ると、それらの写真で写し出される人々は、『革命の夜、いつもの朝』とは極めて対称的であることがわかる。
この写真の中で写し出されている人々は、社会的なフレームに強いらており、それによって一枚の写真に写し出される群集には、明確なグループ分けができる複数のフレームができあがっているからである。ウィノーグランドもまたクラインと同じように、すべての人間を対等に均質に見えている。しかし、そこでは映し出されている人々の均質さというのは、クラインとはまったく異質だ。
たとえ彼らは楽しそうにしていたとしても、それはプライベートではなくきわめて社会的な場の中であり、きわめて意識的に各々の立場や役割や目的や欲望をもって動いているからだ。写っている本人が意識的であることを意識しているか、いないかを抜きにして、ウィノグランドの写真は、それをむき出しにしてしまう。そこでは身分や性別、職種、目的などのちがいから、身振りや表情、服装、人間関係などの差異が写真にはっきりと作り出されている。ウィノーグランドは生物学者のように社会的な構成や人々の無意識な行動から生まれる複数のグループなりフレームを明示して見せている。
ウィノーグランドが『Public Relations』で撮っている写真の現場は、必ずしも『革命の夜、いつもの朝』のような一体感がなかったかというと、そうではなかったかもしれない。しかし、ウィノーグランドのやり方は一体感を剥奪し、瞬間に見せた人々の反応の差異をフィルムに定着させ明確に浮き立たせるところにある。また、『革命の夜、いつもの朝』で『Public Relations』のようなエグイともいえる人々が見せる反応の差異がなかったわけがないだろう。けれども距離をとることなくクラインは、議論がまさに起こっているその輪の中に入っていき、それぞれの意見を録音し、その場にかかわっていた人々を撮影することによって異常な一体感をダイレクトにフィルムに収めているのだと思う。
どちらもたとえそれが正統なドキュメンタリーとはいえ、そこには必ず作者の視点が存在し、それはフィクションであるともいえる虚構が存在する。しかし、それは紛れもなくひとつの真実としてフィルムに定着しているのであり、そこから考えるべきところは、広く深い。

『Public Relations』

「Peace Demonstration1969」

「Opening Fran Stella Exhibition, the Museum of Modern Art, 1970」