
Untitled (0603K) 2006
Acrylic on canvas
200 x 160 cm
YVES OPPENHEIM(イブ・オッペンハイム、1948年、マダガスカル生まれ、パリ、ドイツ在住)は、知的で高い技術を持っている優れたペインターだと思う。彼は具象的なイメージを使うことなく、きわめて絵画的なシステムを使いながら今日の現代美術の中でも古臭く思われない作品展開をしている作家だ。
もちろん今っぽければ良いわけではない。しかし観る者にとって古臭いか否かというのは直感的に反応してしまう。それを回避することは作家にとって非常に重要な問題だと思う。かといって、現在性や流行だけで作品が成立すること、現象に流され回収されることに対しても作家は同じように危機感を持っている。
今日において、YVES OPPENHEIMの取り組みはけして刺激的ではないかもしれない。ともすれば彼を保守的だとか、折衷主義と呼ぶ者もいるだろう。しかし作家であれば誰しもがわかることだと思うが、彼のような形式の問題と、イメージを使わない姿勢を貫きならが、これだけ高度に作品を作り上げ、コンテンポラリーな状況と無関係にやらない作家というのがどれほど難しいかということがわかるはずである。そして現代に対抗するペインティングのあり方を彼は野心的に取り組んでいる。その姿勢は野心的で力づよく、清々しい。
今日のペインティングは主に二つの方向に分かれているところがある。もちろん例外的な作家はいるけれど。一つはタッチを殺した、もしくはタッチを無視した映像的なもしくは工業的な作品。もう一つは過剰に表現主義的なタッチの作品だ。しかしそれはどちらも作品の成立の上で過剰にイメージに依存している場合がある。それと同時にペインティングというイメージにもまた依存しすぎな場合がある。
YVES OPPENHEIMは絵画の現在性はあくまでイリュージョンを作り出すシステムの問題であり、そのシステムの形作られ方、考え方が現在性を作り出しているといえるのではないか。
またアメリカの抽象表現主義は、イーゼルや筆を否定し絵画制作の上で新しい可能性を提示した。そういった作品群からするYVES OPPENHEIMは筆的なものを否定していない。しかし彼の作品が安易に筆を使用しているようには思えない。一つ一つのストロークは、明らかに普通のストロークよりいい大きかったりする。筆や刷毛だけでなくさまざま方法で絵の具が置かれているかもしれない。単純な形を用いながらも(これによって、身体的なサイズやキャンバスの実際のサイズに対してある効果を生み出している。)複数のストロークやフォルムや独特の色彩が、複雑にシステム化され入り組んだ構造を持っている。そういう意味で彼の仕事はマティス的な意識のほうが近いといっていいかもしれない。
彼の作品を一枚の作品で見たときの面白さは、考えられた色彩と、複数の方法によって描かれたフォルムが、まるでレイヤーのように分かれて存在するにもかかわらず、空間として簡単に分裂することなく複雑に絡み合って成立しているところにある。
また展示全体で観ていくと、描き方、色、構成の決定は一つ一つのコンセプトによって作り出されている。つまり、一枚の中でも分割された複数のシステムが絡み合いながら成立しているように、展示としてみたときもまた複数のシステム=作品がから絡み合いながら成立されるようにできている。
しかし、彼も生きた作家である。非常にしっかりした一貫性を持ちながらも展開し変化してきている作家だ。今後もしくは現在、彼のシステムの作られ方が一枚、もしくは展示としてどのように変化していくか。とても楽しみだ。
ちなみに下の画像はは2005年に行われた展示の風景だ。
