今日紹介するのは、「モデラート・カンタービレ」というマルグリット・デュラスが書いた小説だ。
タイトルになっているモデラート・カンタービレの意味は物語の冒頭で示される。主人公のアンヌ・デバレードの息子が受けているピアノレッスンの中で、先生にその意味を問われる。少年はそれを知りながらも答えようとしないのだが、「普通の速さで歌うように」だと先生が言う。
この小説は、このタイトルが示すように時間が重要になっているように思える。またそこには労働と生の問題が関わっている。時間の流れをいわゆる普通なものとして維持することができない人妻アンヌ。それは彼女が労働とは全く無関係な存在であるが故に空っぽな時間に直面しなす術がない。アンヌが息子にピアノのレッスンを強いるのはおそらく、音楽が労働と同じように自分を機械化し時間の流れをコントロールすることができるからだ。
これは非常に穏やかで緩慢な時間のなかで、徐々に押しつぶされ狂気へと落ちてゆく女(アンヌ)の物語なのだ。
「モデラート・カンタービレ」は、少年が冒頭のピアノレッスンを受けている時に起こる情痴殺人事件にアンヌが遭遇してしまうところから話が始まる。
そしてブルジョワ階級の人妻であるアンヌは目的もなく息子を連れて町を散歩しながら時間を潰しているのが日課なのだが、酒場でショーヴァンという男と知り合う。二人は酒を飲みながら、ほとんど何も知らない情痴殺人事件の二人(被害者の女と加害者の男)中で起こっていたことをなぞろうとしていく。探偵のようにではなく、あくまで空想の中で。
息子のピアノレッスン、ショービアンとの会話、ホームパーティー。情痴殺人事件を発端としてまるでタバコの煙のようにゆっくりと流れていく時間が、アンヌの精神を静かにしかし明らかに変化を起こしていく。
ところでこの小説を読んで、山本直樹の漫画を思い出した。退屈な日常の中で空っぽな会話を続ける男女、そこにひたひたと官能と狂気が忍び込む物語を山本直樹もまた得意としているからだ。その感覚が非常に近い。もしかしたら山本直樹はこれを読んでいるかもしれないとも思った。
非常に洗練された文章なので、かつ読みやすいので興味のある人は読んでみてはどうだろうか。