最近は、このコラムを書くことを当分しないと決めていた。自分がコラムに引っ張られて必要以上にいろんなことを考えたくない(興奮したくもない)という気持ちが強くなっていたからだ。またそれが何かを本当に考えているということにはなっていないことも自覚していたからだ。最近はやはりもう少し自分の制作について考えることに集中しようと思っている。
ただ、誰もまったく書かないこのコラムのページを、毎日何人かが見にきているということはもなんだか心苦しいものがあった。
しかし、そろそろ僕以外の何人かがこのコラムに書き込もうと思っているらしい。その突破口として、適当なことを書いてみようと思う。
最近芥川龍之介の文庫本の小説を買った。それを仕事の合間に、もしくは寝る前に少しずつ読んでいる。
最近ちょっとしたきっかけから小説を読むということが少しだけ増えてきた。読んでみるとそれはそれで面白いなと感じるようになってきている。まぁ、いつまで続くかはわからないのだけれど。
けれど、それが自分の制作にとっても意外と参考になると思えなくもない。中短編の小説は、やはり構造とアイデアがしっかりあって、かつそれが機能することによって物語に広がりと強度を作り出す。それは自分が作品を作るうえで非常に参考になると思える。長編の面白さというのもあるけれど、美術はどこか長編ではなく短編小説的な構造を持っていると思う。もちろんこれは僕的な考えかもしれないけれど。
またある映画監督たちは、中短編の小説が一番映画の原作に適していると言っている。それは30年代から50年代くらいの映画を見ているとすごくよくわかる。例をあげれば黒沢明なんかも芥川龍之介の原作の「羅生門」(1950年)という優れた映画を作っている。それ以外にも中短編の小説をを元にした名作は映画史の中に多くある。
もちろん例外もある。もう映画の創世記らへんから、壮大なものを描こうとした作家たちがいる。これはまたある意味で映画という形式に大きく関係した問題である。グリフィスや、エイゼンシュタインなどを見ればよくわかるのではないだろうか。
さて、そろそろ話が脱線しすぎたので、芥川の話に戻ろう。僕が買ったその本は、芥川の最晩年に書かれた短編を集めたものである。彼が自殺した後に発表された作品も入っている。
だからなのか、すべての作品が異常な暗さを持っている。けれども芥川という作家がここ日本においていかに意識の高い作家であったかということがうなずけるだけのものがそこにあるような気がした。(もちろんあまり小説を読まない僕なので、そんな偉そうなことは言えないのだけれど。)その中でも、とても心惹かれたのは『蜃気楼』という作品である。
この作品はとても短い小説である。二部構成になっており、日記風に描かれている。つまり、この中に出てくる「僕」というのは芥川自身である。
第一部の設定は、或秋の午頃、「僕」は東京から遊びに来た大学生のK君と、O君と一しょに蜃気楼を見に鵠沼の海岸(鵠沼は芥川の妻の実家だった)に出かけていく。
この頃まだ「僕」は精神の病から直りきっているわけではなく、いまだ弱りやすい状況だということがわかる。周りの人間は言葉には出さないものの芥川の弱り方にたいして気を使っていることがよく伝わってくる。
彼らが見た蜃気楼は、青いリボンのようなものが一すじ見えるだけだった。それが蜃気楼だということに対して満足できるようなものではなかった。
そういった中で三人は、「新時代」(当時の状況ではかなり近代的な(つまり最先端な)格好をした若者)と呼ばれるカップルを見かける。
ここでは非常に巧みな描かれ方をしているのだが、その「新時代」と呼ばれたカップルと格好とほとんど変わらない格好をしたもう一つの「新時代」のカップルがこちらにやってくるの見つける。一瞬、その「新時代」のカップルを最初に会った「新時代」と勘違いして、彼らは驚くことになることになる。なぜなら最初に会った「新時代」は、一町ほど離れたところにいるはずだったからだ。
これに対してO君は拍子抜けのしたように笑い出し「この方が反って蜃気楼じゃないか?」という。
このあと、彼らは砂山の上で、あるアルファベットで名前と年数が書かれた木札を見つける。
「何だい、それは? Sr.H.Tsuji……Unua……Aprilo……Jaro……1906」
「何かしら? dua……Majesta……ですか?1926としてありますね」
彼らはそれが水葬した死骸についていたものだというように推測する。そしてそれが正しければその人はおそらく混血で20歳くらいで死んだことになる。(「僕」は、ここで船の中に死んで行った混血児の青年を想像し、その想像ではなぜか母親は日本人となっている)
第二部では、K君が東京へ帰った後、午後の七時頃に今度は芥川の妻も連れて、O君とまた引地川の橋を渡り、もう一度鵠沼海岸に行った話である。この橋はおそらく鵠沼橋(写真を見る限りではなかなか立派な橋だった。)だろうと思ったが、旧鵠沼橋は昭和7年に建設されており、この『蜃気楼』という作品は昭和2年には『婦人公論』で発表されているので、まだできていないということがわかった。
一部では、蜃気楼が見えるくらいであるから、秋の晴れた午後を想起させるのに対して、第二部では、星の光も見えない真っ暗な夜ということになっている。
夜の海岸をマッチをつけたりしながら三人で歩いていると、「僕」は鈴の音が聞こえたように思える。本人は最近よくある幻聴かも知れないと思い、ちゃんと耳を澄ましてみたが、確かにどこかで鈴の音が鳴っている。それを二人に伝えると、妻が
「あたしの木履(ぽっくり)の鈴が鳴るのでしょう。―」そして、「あたしは今夜子供になって木履をはいて歩いているんです。」
妻はそれが芥川の幻聴だと勘違いしそれをごまかすために、(つまり妻には鈴の音が聞こえていなかったのか)嘘をついたのか、それとも袂の鈴の音が聞こえていてわざと冗談を言ったのか、ここでは判断できない。
それを聞いてO君は「奥さんの袂の中でなっているんだから、―ああ、Yちゃんのおもちゃだよ」と訂正を入れる。
鈴の音もそうだが、この小説の中で、「僕」は、遊泳靴を土左衛門の足と勘違いしたり、なんでもない轍がとても圧迫するものに見えたり、通りすがりの男の巻煙草などのなんでもないような些細な現象や物に「僕」は絶えず脅えているように思える。
それは、「僕」が昨日見た夢の話からもよく伝わってくる。それは3,4年前に一度だけ会った婦人記者が、トラックの運転手になって「ぼく」と話をしている夢だった。
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って君が悪いんだ。なんだか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろいろなものが見えるのだな」
またこの台詞の直後にこんなことが書かれている。
僕はこんな話をしながら、偶然僕らの顔だけははっきりと見えるのを発見した。しかし、星明りさえ見えないことは前と少しも変わらなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。
ここでは、芥川の微妙な意識が描かれているはずだ。つまり、いろいろなものが見えてくるということと、それだけがそれだけがはっきりと見えてくることそのズレが僕にはとても大きなことのように感じる。
またこの『蜃気楼』の小説の巧みだと思うところは、ある種のそういった微妙な感覚を一人の中で起こった経験にしないということである。
蜃気楼とはあくまで、虚像なのだが、錯覚と違いその現象の経験を他者と共有できるということがある。つまり、精神の病とはいえ狂ってしまっているというわけではない。だからここでは、「僕」が自分が見ているものと他人が見えているものが違うことによって孤独感が浮き上がるのではなく、かといって「僕」が感じている恐怖感や圧迫感は、ある種共有できないものとして描かれている。
この顔がよく見える現象もまた、妻も気づくのだ。そして「砂のせいでしょう」という。つまりそれは、砂が光りを反射させレフ板の効果になり顔を浮かび上がらせるということだ。
ところで、これは少々図式的に読み取りすぎだが、この小説の第一部では、日本という場とその近代化に対しての、芥川なりの戸惑いと皮肉がこめられているような気がする。それは、芥川が西欧の短編の手法や様式を徹底して習得していったのと同時に、彼が日本や中国の説話を小説にしていく中で発見された近代化と歴史回帰の歪みの意識から作り出されてたもののようにも思える。
しかし、これが単に優れた図式的な構築だけでとどまっていないのは、そこから第二部の描かれ方だ。
二部では夜ということもあり、視界がぐっと狭まる。ある意味で蜃気楼とは違った形で、まるでカメラのピントのような意識をたくみ描き出している。彼の感覚は、ポイントポイントに集中し、風景の全体は見えなくなる。
その中で様々なことが起きていく。二部に起こるいくつかの現象と芥川の恐怖と圧迫は、一部に感じるものとは少し異なるように思える。
それは第一部で日本の近代化の問題、芥川と水葬された混血児との対比(対比というよりも芥川自身に内在している混血の問題といって良いだろう)などを設定しておき、第二部は日本の近代化の問題/困惑から、その近代化をになっていた芥川自身の中に立ち上がってきている恐怖と圧迫(実存)の問題になっているのではないだろうか。