友達からクリスカニガムのDVDを借りっぱなし、いい加減返さなければと思い今日全部見てみた。
彼の映像は映画としてみるとどうしてもちゃちな部分が気になってしまう。
だが、マドンナの「frozen」、ポーティスヘッドの「only you」や、エイフェックスの「flex」、ビョークの「All Is Full Of Love」はなんかを見ていると、一貫した彼の興味みたいなものが見えてきた気がする。
「flex」はベネチアビエンターレにも出品され高い評価を得ているが、僕はまだその作品の本の一部しか観ることができていないので何とも言うことができないが、彼の作品には一貫して身体的なものへの興味が高いことがわかる。
それは身体的な問題が絡んだ形態の問題と映像内における時間感覚の捉え方だ。
また特に「flex」、「Frozen」「Only You」は共通した映像の関心の中で作品が作られていると言っていいだろう。
この三つの作品の共通点は、人が空中に浮く。飛ぶのではなく浮く。
そして、ただ浮くのではなく、水中に浮いている人のように、髪がなびいたり、服が動いたりする。
この状態はシンクロナイルドスイミングのような状態と同じ状態な訳だが、彼らの動きは、そういったリアルな動きなかけではない。
つまり足をばたばたさせたりとかはしない。しかし、「Only You」の空中に浮いている少年が身体を回転させるときの手の使い方は明らかに水をかいているときと同じ動きであり、バランスの取り方も、間違いなく彼は本当に水中に入って撮影したと思われる。
「Frozen」ではそれが水ではなく、風によってにたような効果を出している。そこでは、巧みな服のデザインによって、私たちにマドンナがどのような姿勢になっているのか当惑させるようにできているが、それと同時に、映像によって巻き戻しやスローモーションなどを巧みにつなぐことによって、現実に起こる現象とはどこか異なる動き、変化を、我々は目にするというところである。
それがカニンガムの今観た中で、もっとも秀逸なのは「frozen」だといえる。マドンナはかなり身体を鍛えているだろうし、踊りもできるだろうが、身体の動きで観るものの認識が揺らぐほど巧みな身体の動かし方は知らないだろう。
そういった中で、服のデザインや、風などを利用して、かつ映像的な合成や編集、あと露出などのテクニックでマドンナがまるで変幻自在な魔女のように不思議さを出しているのは一定量観るべきものがあると思う。
形態の変化の仕方の認識にうまくノイズを入れることができているということだ。
例えば、田中功起なんかも、空中に浮き続けるトイレットペーパー、やカツラでそのようなことをやっているが、形態の問題、重力の問題、モノの現象や表情のつかみ取り方というといった認識の問題の部分では、カニンガムの方が巧みだといえるかもしれない。
まぁ、そこまで認識が揺らぐかというとやっぱりそこまでではないのだけれど、彼が作った最近のCMみたいなやつを観ても、形態としての身体と映像内における時間感覚に対するわかりやすい考察が観ることができ、一定量評価することができた。
まぁそれよりも、映像の完成度や完成度が凄いと評価したくなるかもしれないが、彼は意外と形式的な問題を考えているようだ。CMやPVと商業的な問題も考慮に入れなければならないことも確かで、それが大変だと本人もどこかでコメントしていたが。
その形式的な問題をどこまで徹底して考えるのかはわからない。彼の作品はやっぱりオーダーや商業的なものとの折り合いなどがかなり厳しいだろうし、どこか形式的なものだけでが見えてこないようにするのが彼の中であるかもしれないし。それが一概に悪いともいえないが、ストーリとしてではなく、シュチュエーションとしてでもなく、単に様式美にならず感覚的なものに訴えてくるような映像を作り出してくれることをカニンガムを観ていると期待してしまう。そん部分をとったらおそらく彼はちゃちな映像作家になってしまう。