押井守監督作の劇場アニメ編「麿子」(1990)は、家族という概念と虚構という概念を並列に扱いながら物語っていき、虚構の中の虚構性と真実感の関係性を使って、観る者を知らず知らずのうちに物語の中に引き込んみ、観終わった後には不可逆的な物語の強い説得力を持っている事に気づかされる作品であるという事ができます。(あれっ、少し唐突に始まり過ぎかしら)
とにかくこれは、傑作なのです。これを観終わった後には、宮崎アニメしかほとんど観た事のないあなたなんてまさに、押井守にひれふし、感謝する事になるでしょう。そう、こんなアニメがある事を私自身も感謝しています。(あらっ、これも唐突すぎですかね)
この「麿子」の物語は、埋立地に建っている高層住宅地に住んでいる3人家族(父 ヨモタキネクニ、母 ヨモタタミコ、息子ヨモタ犬麿)のもとに、38年後の近未来からタイムマシンに乗ってやって来た、犬丸の孫である「ヨモタ麿子」と名のる者があらわれることにから始まります。
この麿子と名のる美少女が、このあまりにも非現実的な言い分でヨモタ家の子孫だといっていることに対して、それを本当に信じるわけでもなく、その話を利用して麿子と良い関係になろうと考える犬丸と、それを受け入れることによって自分の中で冷めきっている家族観の中でもう一度喜びを得たいと思う、キネクニの二人は、タミコの反対を押し切って、麿子を家族として受け入れることを承諾します。タミコはそのことにより、ヨモタ家を去ることになります。
この後も犬丸は、キネクニと離れ、麿子と二人の関係を築く為に戦略的にキネクニのもとを去ります。このような筋書きから、麿子の出現によってもろくも崩れ去った家族(日常)という幻想とその概念と、麿子は本当にタイムスリップして38年後の近未来からやって来たのか?彼女は本当にヨモタ家の子孫なのか?誰なのか?という問題を巡って物語は展開していきます。
う〜ん、とても量が多いので、この話は明日に続く。