11日に発生した巨大地震ですが当店でも震度5を記録しました。
地震発生当時はお客様と店内で雑談中だったのですがあまりの長時間の揺れ、そしてどんどん強くなる揺れに恐怖を感じ、すぐに外に避難しました。
工場内では色々な物が「ガシャガシャーン」と凄い勢いで倒れています。
恐怖の為かすごく長い時間揺れていたような気がします。
なんとか揺れが治まった時には足がガクガクと震えていました。
その後も余震は何回も続き夜になると姪っ子が茨城県の水戸駅で足止めをくらっていると情報が、、、姪っ子は普段は長野に住んでいます。
水戸市もかなり被害のあった地域で実際どんな状況か分からない。しかも通行止めなどで現地まで行けるかも分かりません。
しかし気が付いた時には車を走らせていました。
出発したのが10:30 水戸駅についたのが1:30、しかし駅が見つからない。。。実際は駅前にいたのですが停電で真っ暗で何も見えない。すぐ目の前に建っている駅が見えないのです。
それ位真っ暗でした。
すぐさま駅周辺を捜しましたが人が誰もいない。警察官がいたので聞いてみると被災者は近くの五つの学校に避難しているとの事。
しかしどこに誰がいるのかまったく分からない。
とりあえず片っ端から探しに行きますが避難所の学校の体育館は真っ暗。
シーンと静まり返ったその中にたくさんの人がじーっとしていつ復旧するか分からないその時を待っています。
ハッキリ言って顔を確認できる状況ではなく人影がわかる程度にしか見えないのです。
そんな状況の中でライトで照らすわけにも声をかける訳にもいかず探し出すのは困難だと思いました。
しかも避難所は全部で5か所。どこにいるかも分からず。。。
場所によっては体育館ではなく校舎が避難所になっているところもあり玄関で担当の方に部屋を教えて頂き真っ暗な廊下を進み、真っ暗な階段を上り、さらに廊下を進み、真っ暗な教室のドアを開けると真っ暗な部屋の中にいる人達が一斉にこちらを見る、、、やはりそんな状況では顔を確認できる訳もなく厳しさを感じました。 肝試しのようなこんな怖い校舎を歩くのは普段では絶対無理ですが何かが背中を押していたのでしょう。
避難している人は全部で1500人。その中で一番多くの人が避難していると言われた学校を特に念入りに探しましたが暗すぎて探せず、とりあえず車の中で朝を待ち明るくなったら探す方向に変えました。
車の中での待機中でも震度4〜5の余震がたびたび発生していて正直早く帰りたいと思っていました。
5:30頃、辺りが明るくなってきたのを確認し捜索を開始。30分ほどで涙の再会が出来ました。
真っ暗な中何度も探していたところにいました。でもこんな状況で巡り合えたのは奇跡です。
地震があった時に避難所の映像などを普段テレビで見ていてイメージしていたものとはまったく違ったものでした。
まず暗さ、顔が確認できないほどあんなに真っ暗だとは思いませんでした。そして収容人数、表現が不適切かもしれませんが「ウジャウジャ」
暗さと人の多さに見えずに何回も寝ている人を蹴ってしまいました。
当店の周辺では震度5でかなりの揺れを感じたにも関わらず大きな被害がなく一安心ですが被災地にて大変な状況を目の当たりにした自分にとっては心の傷が大きいような気がしてます。
これだけの大きな災害ですから世界中の方々が心の傷を負ってると思うので自分だけなんて事はありませんけどね。
テレビでも海外から多数の救助隊が派遣されている映像が流れているのを見ると涙が出てきます。
国が違っても人間はみんな同じ。ホントにありがたいです。
そして当店の地域でも計画停電の予定がありましたが実施されませんでした。
やるといってやらなかったり東京電力に対して多くの苦情も寄せられているようですが、みんなが協力しあって節電をしたから電力が足りて停電しなくてすんだのだと思います。
混乱もあったようですが停電にならなくてすんだのなら喜ぶべきですよね。
当然当店でも出来るところは節電をして早く安定して電力が供給出来るようになってほしいです。
今回は電気のありがたみをすごく感じました。
今後もみんなで協力しあって今の気持ちで節電していきたいですね。
人間はすごく辛い体験をしても時間が経つとその痛みが薄れてきてしまうと思いますが今回は多くの人がこの痛みを経験した訳ですからこの先もみんなで協力しあって忘れないようにしたいです。
ワタクシの知り合いで仙台、岩手に住んでいる未だに連絡の取れない知人もいます。
今は一日でも早く復帰、生存者の救助を急いでほしいです。

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