さすがに今日は休みです。先週の月曜日から土曜日に出勤して夕方その足で高松に行き、1泊して日曜日に帰って来たのは夜の11時。今週は土曜日出勤でようやく休めます(ナニ、日曜日11時に帰って来たのはお前がいろいろほっつき歩いてたからやろうって?全くその通りです。平賀源内記念館でストップしていますが、そのときのネタはまだ残っています(笑))。
今日は北神圭朗さんや林英臣さんの講話でお世話になっている小笹さんが主催された「内なる魂に気づく 〜自分の人生を創り出す旅へのいざない〜」というお話に参加しました。場所ですが、衣棚二条を下がったところにある「士心 サムライレストラン」。会社からは歩いて5分のところで、結局今日も府庁前までバスで行くことになりました。
吉田睦美さんは家庭裁判所の現場調査官でさまざまな家庭の現状を目の当たりにされ、その後退職されてインドで精神の修行をされていました。
まず、瞑想から始まりました。ゆっくりと呼吸をするとモヤモヤしたものが飛んでいくような気がしました。
それから吉田さんのお話が始まったのですが、家庭裁判所で以前問題になったのはいかにもヤンキーという非行を起こす人が多かったのですが、最近は学校や社会で問題児扱いされていない子どもが自傷行為をしたりするケースが多いそうです。
人間の本質について問われ、私は誰もが持っている唯一のものと答えたのですが、その後逆ではないかと思いました。日本人であれば個性は1億2千万通りあるのですが、社会のシステムによって自分の本質とは違うものを演じなければならず、それで鬱になったりするのではないかと思いました。
すると似ているのが今、私がやっている個性心理学から始まった「八百万の神開運暦」で、そこで出てくる守護神の神格とその人の性格が異なると、その人は生まれてからの教育で無理をしているのではないかと考えるようになりました。私の守護神の「ツクヨミ」の神格は私の性格に似ていて、「出番待ち対応」というのは自分から行くことができない私にとって全くその通りで、今回もFacebookでの小笹さんの「招待」がなければ行くことは無かったと思います。ある意味本質通りの生き方をしていると思います。しかし、その人の本質を理解されず、本質に合った教育をされないと本質と違ったキャラを演じなければならなくなると例え端からは成功したように見えてもその人は苦しいと思います。今、40代の引きこもりが多いという報道がありますが、それについては新卒時に就職が厳しい状況で、そこを逃すと選択肢が大きく狭まってしまう日本のシステムであったり、新卒で無い者はダメといった思い込みであったりするように感じます。当然、社会から奇異の目で見られないようにするにはキャラを演じなければならないようになり、鬱や引きこもりになったりするでしょう。
人間にはそれぞれ本質があって、ある程度後天的に鍛えられたとしても本質が向いていなければ難しいと思います。仮に運動の苦手な私が子どもの頃から「大リーグ養成ギブス」を付けられて練習したとしても苦しかっただけだと思います。
その点、問題となるのが学校の教育です。私は勉強や運動は生まれながらの素質である程度差が付いてしますが、倫理や道徳は素質はなく教育で決まってくるというのが持論です。ところが今の学校は後者の教育はろくにしていないのが現実です。
また、マスコミにしても特に大手新聞社は半世紀以上新規参入もなければ、撤退もなければ、合併分割もない利権まみれの異常な業界としているのですが、朝日や毎日が自社の週刊誌で5号ぐらいにわたって、以前は東大京大の合格者の氏名を載せていて、今は東大京大などの高校別の合格者数を発表するという予備校のような記事を出していますが、これは東大や京大に行くのが成功者で良いことであるという既存のシステムに問題はないかを全く考えないものですし、高校の合格者数に変えたのも単に法律を守らなければならないからやっているに過ぎません。そして何より問題なのはこのような百害あって一利なしの記事を載せている週刊誌を買うという国民で、既存のシステムで教えられ、疑問を持たない国民が利権を増大させてしまっている構図になっています。
今回は、小笹さんに誘われて参加したのですが、題名からしてスピリチュアルな話が出てくるのかと思ったのですが、「神道の心を伝える」の小坂達也さんの話と被るような部分も多かったです。外は雨で部屋の中も暗めでしたので、スピリチュアルな話であればおそらく疲れから居眠っていたと思うのですが(笑)、そのようなことは全くなく時間が短かったように感じました。まだまだ吉田さんの引き出しがありそうな感じがしましたので、また参加してみたいです。

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