昨日の日記の続きです。
石切劔箭神社に行った後、まだ昼食を取っていないことに気づき、すぐ手前に「すずや」という食堂があったので「おふくそば」を食べました。
その後、上り坂を上がって「上之社」に行ってみることにしました。「すずや」の横に「石切神社神武社跡地」という石碑がありました。神武社は今は三之鳥居の中にありますが、昔はここにあったのですね。いつまでここにあったのかはわかりませんでした。
石切劔箭神社はお寺っぽいと書いたのですが、参道を歩いていると「悩みを解き幸福を呼ぶ豊八大黒殿」という建物があってのぞいてみると大黒様の像がありました。その横には閉まっていましたが「よく当たる占い」なんやこりゃ。さらに歩くと大仏があって、「日本で三番目 名所石切大佛」の石碑が。何で日本で3番目なのかわかりません。調べてみると昭和55年に「阪本昌胤」という人が建立したそうです。石切に「阪本漢方薬局」を設立し、東大阪市の市会議員でもあったそうです。「阪本漢方薬局」は「赤まむし」で関西の人ならご存知の方も多いと思いますが、関西のTVCMに出てくることも多く、昔「阪本の赤まむしの歌」というのもありました。
「♪これは素敵なちょいといかす 一さじ飲んだらドンぴしゃり 元気百倍力出る出る 歌もで〜る 何がなんでもこれだけは 忘れず飲みましょう 阪本の〜」で始まる歌ですが、スポンサー番組の司会をしていた夫婦漫才の「暁伸・ミスハワイ」(これを知っているのは関西人かつ私の世代以上でしょう(笑))が、登場時のテーマソングでこの替え歌を使っていました。
「♪これは素敵なちょいといかす 一節聞いたらドンぴしゃり 元気百倍力出る出る 歌もで〜る 何がなんでもこのコンビ 忘れず聞きましょう 伸ハワイ〜」というものでした。
そして少し歩くとチラシが貼ってあったのですが、囲碁の井山裕太氏がこの近くの日下町の出身だそうです。
近鉄のガード下をくぐると右手に「ホテルセイリュウ」がありました。大阪エヴェッサのスポンサーで大阪との試合を見に行く時はよく聞く名前ですが、この場所にあったのですね。日帰り温泉は1000円で入れるようですが、今回はパスしました。
きつい坂を上っていくと上之社に到着しました。御祭神ですが、饒速日尊(ニニハヤギ)と可美真手命(ウマシマデ)のそれぞれ荒御魂(あらみたま)です。
由緒書きには
石切剣箭神社は、神武紀元2年(紀元前658)、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。その後、崇神天皇の御代(紀元前97〜30)には可美真手命を奉斎するため下之社(現御本社)が創建され、永らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社(合わせて石切劔箭神社二座)として祭祀が継承されました。慶安3年(1650)宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対し上之社と称されるようになります。しかしながら、時代は下って明治40年(1907)、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和47年(1972)に再興され現在に至ります。現上之社のご本殿は元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、昭和7年(1932)に現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。
和御魂と荒御魂の説明もあって
神様のお働きには和御魂と荒御魂という二つの側面があります。和御魂は優しく平和的な側面であり荒御魂は荒々しい側面です。荒御魂は勇猛果敢で義侠心に富むとされ、その荒々しさから新しい事象を生み出す活力の源とされています。和御魂と荒御魂は同一神ですが別の神様に見えるほど強い個性をお持ちです。伊勢の皇大神宮(内宮)における正宮は天照大神の和御魂をお祀りし、荒祭宮には荒御魂がお祀りされています。同様に、上之社では取り立てて石切劔箭大神の荒御魂を畏れ畏み、奉斎しております。
本殿の左手前に休憩するところがあったのですが、歩いた上に、石切駅の近鉄の時刻に合わせようと休憩していました。無人だったのですが、ほぼ同時に親子3人が入ってきてお父さんとお母さんは横になってダウン、子どもだけがゲームで遊んでいました。
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