昨日、おおさか東線の新大阪−鴫野間が延伸開業しました。初日の状況を見に行ってきました。
阪急の淡路駅の東口から北東の方向へ歩くと「JR淡路駅」です。ここから2駅南の「JR野江駅」まで行きました。住宅地の中にある何の特徴もないような駅でした。東口からは京阪電車の野江駅が近いです。今度は逆に1駅戻って「城北公園通駅」に行きました。西口は「蕪村口」という名前です。与謝蕪村の胸像もありました。この区間はもともと城東貨物線のあった場所ですが、その時に都島信号所のあった場所です。「都島駅」としたいところですが、地下鉄谷町線に「都島駅」があって、歩いて20分ぐらいかかるところなので都島駅にはなりませんでした。駅の東側の旭区では、駅の北に城北公園通があって旭区にある城北公園を通っているために「城北公園通」駅を希望しました。一方、西側の都島区は近くの毛馬町(旧東成郡毛馬村)が与謝蕪村の生誕地であったために「蕪村生誕」駅を希望したのですが、結局旭区の「城北公園通」が採用されました。しかし、都島区にも配慮する形で都島区側の西口を「蕪村口」とし、構内に与謝蕪村の胸像も建てられました。
残る新駅は新大阪側へ2駅の「南吹田駅」です。JR淡路駅から南吹田駅の南の神崎川鉄橋南側は10年前のブログに書いたのですが、城東貨物線の用地が不法占拠されていて、立ち退かせるのに時間がかかり、この区間の開業遅れの一因になりました。思い出したのは小屋に「人夫募集」という看板があったことです。「人夫」はマスコミの間では差別語とされていて、「にんぷ」と打っても変換されません。このころは「中風除け」の「中風」も変換されなかった記憶があります。マスコミはこんな下らないことをしているのであれば、何の規則にも反していないのに、インドの「不可触民」のような表現の「非正規労働」も差別語にすべきです。
差別と言えば、開業のこの日は男の乗客が多かったこともあって、女性専用車は空いているのに他の車両がごった返していました。女性専用車は真の原因から外れた解決法ですが、子どもの時の教科書で見た南アフリカのアパルトヘイトの白人車両と黒人車両を思い出しました。
神崎川鉄橋で二手に分かれるのですが、西側がおおさか東線の南吹田駅、東側が城東貨物線の吹田貨物ターミナル駅に行く線路となります。「南吹田駅」では駅前広場でイベントをしているようだったので、少し見てから改札に戻りました。おおさか東線の駅では「みどりの窓口」はなく、「みどりの券売機」が1台あります。どの駅でもみどりの券売機で売られている「マルス券」の入場券を買っていました。ところが南吹田駅では一旦駅前広場の方に出たので戻ってみると「みどりの券売機」に何人か並んでいました。1台逃すと15分後なので早くしろという感じだったのですが、2人前のオッサンが2分以上いろいろ買っていて「どんくさいぞ」と怒鳴りたくなりました。結局時間がないので、横の通常自動券売機で「A型券」の入場券を買って横にいるオッサンを睨んだのですが、いかにもボーと生きてるようなオッサンでした。
夜、帰る際にこの日開業した嵯峨野線の梅小路京都西駅に寄りました。行った時は京都鉄道博物館は営業を終了していて人はまばらだったのですが、遠くから0系新幹線などが見えました。
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