最近ネタ切れ気味ですが、少し前の話です。
伏見区に難読地名で知られている久我(こが)の久我神社を紹介しましたが、その近くに「曹洞宗祖遺跡」という大きな石柱がありました。曹洞宗の宗祖は「道元」ですので、道元にゆかりのある場所のようです。中に入ると「誕生寺」という寺でした。
「誕生寺の由来」とあって
当山は山号を妙覚山と称し寺号を誕生寺と申します。
ここ京都市伏見区久我の郷はその昔、久我家のお屋敷があった処といわれています。
永平寺の六十六世日置黙仙禅師は、大正の初め、久我家の当主通久候と此の久我の地に到り歴史の跡を調べ、この地こそ誕生寺建立の最適の地なりと合議一決し、田村一郎、浅野総一郎、御木本幸吉その他政財界の方々のご協力により、高祖(道元)大師ご自作と伝うる越前(福井)武生の郷の妙覚寺を御尊像とその寺号と共に此の地に移し、大正7年(1918)1月地鎮祭を修し、大正9年(1920)5月には仮本堂に入仏遷座の式が行われたのでありますが、計らずも同年9月2日日置禅師様は新潟県養広寺のご親化戒場に於いて74歳を以って突如としてご遷化遊ばされ、后計画も一頓挫したまま昭和50年代までまいりました。その間豊川稲荷尊天を勧請奉安し、山門の隆昌を祈っていたのであります。
然る所恰も平成12年(西暦2000年)は高祖大師ご生誕800年の嘉辰を迎えるに当り、再び復興計画が進み、昭和57年から平成12年にかけて、ご本山を初め全国の有縁の方々のご浄財により、稲荷堂、本堂、庫裏、山門、坐禅堂、鐘楼堂、供養塔、境内整備等が完成し、ご生誕800年をお迎えする事が出来ました。
伏して冀くは高祖大師のご遺徳と皆々様方のご一層のご協力によりまして曹洞宗門及び誕生寺の隆昌を祈り上げ、かんたんではありますが当山の由来と致します。
境内には「道元禅師幼少像」がありました。本堂の左には「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」の幟がある堂がありました。
道元ゆかりの比較的新しい寺です。
ブログランキングに登録しました。下記のクリックをお願いします。
人気blogランキングへ

0